#1
おばあちゃんはわたしが小学校6年生の時に
亡くなった、55歳という若さで。
当時地元の病院では治療出来ないという事で
高速道路で2〜3時間の都市の病院へ入院。
母方のおばあちゃんなので、母親は
ちょこちょこ1人で仕事終わりなどに
お見舞いに行っていた記憶がうっすらある。
ある日、学校で先生に呼ばれた。
「おばあちゃんがちょっと危ないらしく、
これからお父さんが迎えに来るから」
的なことを言われたような気がする。
母親は一足先に、わたしたち三兄弟は
父親と一緒に向かった。
病院へ着いてすぐ、父親の携帯に電話。
電話を切った父親は、わたしたちに
「かっか(おばあちゃん)、死んだって。」
と微かに笑いながら言い放った。
あまりにも衝撃的だった。
言い方からは深刻さを感じられず、
父親はこんな時になんて冗談を言うんだ、と。
「なに言ってんのー。どうせ嘘でしょ?」
3人同じとこを思っていたし、
そう実際に父親に問いかけた。すると
また半笑いで「本当だって」と。
半信半疑で病院へ入り、病室へ行くと
そこには息を引き取ったおばあちゃんと
周りで泣く母親と叔父たち、
そしておじいちゃんがいた。
父親の言い放ったことは嘘ではなく現実だった。
大好きなおばあちゃんの死と父親に対しての
2重でショックを受けた。
なにより死を受け入れられず、涙すら出てこない
大泣きする母親を見て
「あー、これは現実なんだ」と
ジワジワと何かがこみ上げてきた。
「ちょっとおしっこ行ってくる」と
絶賛反抗期のわたしは病室をでた。
そしてトイレで泣いた、大泣きした。
孫で1番可愛がられてたわたしが
みんなの前で涙のひとつも見せなかったから
「冷たい女」「鬼」「ひどいな」と
散々言われた。
大好きなおばあちゃんの死が
悲しくない訳がない。
あれから14年?15年?経ってから
親族で集まった時にこんな事を聞いた。
乳がんを発症したおばあちゃん、
「乳房を摘出したら99.9%完治します。」
と医者に言われたそうだが、
女としてそれだけは出来ないと断った。
しかしおじいちゃんや叔父の猛説得、
「その思いもわかる。けれど命の方が大事」
と言われたそうで泣く泣く摘出を決意した。
抗がん剤治療により髪の毛はなくなり、
片乳房もなくなり痛々しい傷跡があった。
その1年後だかに、乳がんの再発が発覚した。
しかもあらゆるところへ転移していた。
0.1%以下の確率で再発することはないと
言われていたはずだったのに、
生きるために乳房も摘出したのに。
そんな話を大人になってから聞いた。
なんて残酷なんだろうと思った。
かっか、会いたい。
わたしはこんなに大きくなったよ。