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人格はほぼ幼少期に形成される
と個人的に思う。
北海道の田舎で生まれ育った、私は真ん中っ子。
父と母と一個上の兄と四個下の弟の五人家族。
兄とは何をするのも一緒だった。
100日記念のVHS(死語?)を観るとそこには、
ギャーギャー泣く妹を見て一緒に泣いちゃう兄。
兄妹愛とっても微笑ましい。可愛い。
保育所にも一緒に通ってた。
入所すぐは、廊下で会うと二人泣きながら
ハグしてたらしい。超可愛い。ほっこり。
弟は、めんこくて本当に仕方がなかった。
祖父の家の階段がまだ降りられない1〜2歳の弟を
私は「おんぶして降りてあげる」と言い、
階段手前でしゃがみ込んだ。何を思ったのか弟は
しゃがみ込んだ私の肩に足を乗せた。
「ちょっと肩車じゃないよ」と言いかけたが、
時すでに遅し。
そのまま階段を上から下まで転がった。
めちゃくちゃ痛かった。
あまりにも大きな音に母と祖母が駆け寄るも、
救出されたのは弟のみ。
誰も助けてくれないんかと心が痛くなり、
身体中にも痛みを感じながら自力でリビングへ。
そのとき、私は幼いながらに宿命を悟った。
「妹なんだから」
「お姉ちゃんなんだから」
何かある度に言われる呪いの言葉。
真ん中っ子の悲しい性。結構捻くれた。
兄とは年子で兄妹というより、
割と友達感覚だった。そこが若干の救い。
そして、私は超が何個もつくおばあちゃんっ子。
大好きで仕方がないおばあちゃん。
毎週末のように泊まりに行ってた、恐らく。
そんで、何かしらで毎回怒られる。
でも懲りずにまた泊まりに来るから
おばあちゃんは不思議がってた。
おばあちゃんはいつも、録画してある
渡る世間は鬼ばかりを見てた。
お陰で6歳にして渡鬼と呼んでた。
就学前には、「おばあちゃん家の子供になる」
と親に言っていた、兄妹揃って。
名前言う練習までしてた。割と本気だった。
保育所では大好きな先生、マヤ先生(仮)がいて
見た目はとっても可愛い、
歳の離れたお姉ちゃんみたいな感じだった。
目は色素薄い感じの、ハーフっぽかった。
本当に好きでベタベタくっついてた。
先生は外国の血入ってるのかな?と気になって、
ある時ふと思い立って聞いてみた。
でも言葉の違いがわからなかった6歳の私は
「マヤ先生って、ニューハーフ?」
と聞いてしまったらしい。
大人になった今、猛省。
マヤ先生、その節は大変失礼致しました。
幼少期、完。