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旅の記憶。魔女の海、死と生の間の永遠

旅が人生の中心だ。旅してないと私はじわじわダメになる。だから、記しておこう、あの日、あの時の旅の記憶を。

2012年 9月11日 Iceland The Black Sand Beach 魔女の海

真っ黒な海岸に、つぎからつぎからグレーの波が押し寄せて
じっと立っているだけで、その真っ黒な海の中に引きづり込まれるような
怖さ。
ざざー、ざざーという轟音だけが風の中で響き渡って
そして、そこには、わたし一人。
生命のにおいも、気配もない。

海をみて、はじめて「怖い」と体が震えた。だめだ、飲み込まれてしまう。
「死」という言葉がふいに頭をよぎる。

端から端まで歩いた後、その波の轟音と次々と迫ってくる波が恐ろしくなって何かしていなければじっとしていられず、夢中でシャッターを切り耳にイヤホンを突っ込んで、波の音を音楽で消し去った。
時間を忘れる程そこでじっと海をみていた。

帰り道、なんという草だろう?ふいに目に飛び込んできた、その枯れた草の形に妙に心を奪われた。”枯れている”ということを美しいと感じた。

次の日の朝、同じ道を通って、日の出前にまた同じ海岸に行った。
日の光とともに、黄色と赤のグラデーション染まっていくその海をみながら
“死と生の間の永遠”、という言葉がふと浮かぶ。
日の光に染まっていく光景が、恐いほどに美しく
気づいたら涙がぼろぼろ出ていた。

帰り道、昨日と同じ道を通っているはずなのに
そこには、山の向こうへと続く道と朝日に染まった小さな小屋が目の前に現れた。

どうして、昨日は気づかなかったんだろう。

世界の見え方は、自分の心や、光、音、温度、誰が側にいるか、いろんなことの全てが複雑に絡まり合って目の前に現れる蜃気楼の様なもの。
どの光景を自分の住処にするかでまったく違ったものになるもんなんだ。
と、そう、魔女の海が教えてくれた。

こんな、どちらの美しさもあることがわかってしまったら
まっとうに生きていくことなんて、もっと難しくなるじゃないか。

そんなことを考えていたら、人恋しくてたまらなくなった。

魔女の海とともに
65daysofstatic “Radio Protector”


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