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私の中に住みつくガンコちゃん

私は28歳 性別はメス
いて座であるから自由気ままと占いでは
言われるが、自分では固く
真面目な女だと思っている。
旅行も滅多に行かない。
めんどくさいからだ。
外に出歩くのは公園を散歩するのが日課。
もはやシニア世代と
同じルーティンを辿っている。
田舎町出身。子どもの頃の遊びは
牛舎巡り。基本兄の金魚の糞だったため
男の子の遊びが中心。
牛舎を巡るくせに、兄ともに私は
牛乳が飲めないので、牛乳飲みんしゃいの
親切を断る失礼な兄妹。
田舎というのは、
商業施設がない地域を指すと思っている。
コンビニとジョイフルしかない
町たったので、子どもの頃の遊びは
体力を使うサバイバルであった。
泥をつけながら、遊びこいつはマジで
女の子なのかと母はいつも疑問に思っていた。
兄のおさがりを着ていたため
女の子らしい服装もせず、母がスカートを
買ってきた日には全力の拒否反応を示した。
スカートを着たくない理由で保育園を選び
卒園式は流石にスカートを着ないといけないが
スカートを着たくなくて、号泣していた。
卒園の悲しみで号泣したのではなく、
スカートを着ないといけない苦しみで
号泣していた。
私はスカートをこよなく
嫌う女の子であった。
小学校の入学式でも変わらず
ピンクのスカートを着せられたが
それも号泣。嫌すぎて。
なぜ、こんなにスカートが嫌だったのか
もう、覚えていない。
女の子らしくが嫌だったのであろう。
スカートを着せて可愛くすることを
諦めた母は私の勝手にさせてくれた。
スカートごときで
こんなに頑固さを見せられたら
勝手にさせるのであろうか。
学童が嫌だといえば
じゃあ家におればいい。
学研には行きたいと言えば
学研に行かせてくれた。
母から何かしなさいと強要された
覚えはもう、スカート着なさいしかない。
兄がクレイジーヤンキーになったので
私に構う暇がなかったのが
もっともな理由だろう。
周りの親よりも何も言われなかったため
私は自分の人生のターニングポイントは
自分で決定してきた。
もちろん、進路に関しても何も言ってこない。
犯罪を犯さないのであれば
なんでもいいらしい。
レベルが低すぎて、親からの
プレッシャーは皆無であった。

高校も、専門学校も、したい仕事も
その時々で自分がやりたいことができた。
こう書けば、私は自由人なのかもしれない。
こうしろ、あーしろなんて
言われずに育ったからだ。
看護学校行くと決めた時も
家族は勝手にどうぞ的な感じだった。
反対する親は反対するだろうが
もう、勝手にしてくれと諦めているので
反対も賛成もしないのだ。

自分の幼少期を思い出すと
けっこうなガンコちゃんだと気づいた。
三つ子の魂百までというが
おそらく、今の私も
自覚がないガンコちゃんなのだろう。
だから、学生に戻るという
ちょっとおかしな人生を歩んでいる。
誰かにこれが幸せですよと言われても
それは私が感じる幸せとはいつも違っていた。
だから自分の幸せぐらい、
自分で見つけないとダメなのだ。
なぜなら、私はガンコちゃんだから。

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