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おばあちゃんの死

今日(あ、最早昨日か)
祖母が息をひきとりました
享年94歳  後10日程で95歳
大往生っちゃー  大往生です

親不孝娘過ぎて
随分祖母に会うことを
許されていなかった
親不孝過ぎるワタシですが

流石に夏辺りから
「いよいよ」との医師の判断を受け
母のお許しが出まして
祖母の病院を何度か訪ねておりました

ワタシが会った時は
ボケも全く無く
相変わらず  口うるさくて
「飲み屋の姉ちゃんみたいな服着て💢」が
第一声(笑

「眉の描き方が下手くそ!」
「どーしてそんなに腕が黒い!」
「ちゃんと日焼け止めを塗りなさい!」
なんて

声もカスカスなのに
「70歳過ぎまで美容部員」
してた相変わらずの美意識の高さの
注意ばかり  怒られてばかり

何十年ぶりよ?って言うのに
言うことそれ⁉️ってレベルで
相変わらずで笑ってしまって

痩せこけていても  腹水溜まってても
化粧水と乳液は欠かさなかった
そんな  そんな

ワタシのおばあちゃん
大好きなおばあちゃん

90過ぎて  小さく小さく
元々小柄な人なのに
本当に小さくなってて
カサカサになるはずなのに

それなりにふっくら肌が綺麗で
真っ白で  手なんて本当にふっくらで
点滴部分が真っ青になってるのが
痛々しいくらいで

流石に痩せこけてシワは多少あるけど
いつものワタシの知ってる
綺麗なワタシのおばあちゃん

初孫のワタシが  
生まれて初めて喋った言葉は
「お母さん」でもなく「お父さん」でもなく

「おばあちゃん」

ワタシが  産まれてすぐから
「血液型不適合による黄疸」が出て
ちゃんと五体満足に育つか?
心配で心配で泣き暮らした母

その後  母乳を飲む度に
盛大に「ブファー」って
吐き散らかす赤ん坊だったらしく
泣きながら授乳してた母

そんなワタシが生まれて初めて
発したことばが
「おばあちゃん」


母は膝が崩れ落ちるレベルで
泣いたらしい

当時社宅の団地の5階に住んでて
初孫のワタシに会いに足繁く来てた
おばあちゃんが帰ると
普段は全く泣かない
大人し過ぎる赤ん坊だったワタシが

駐車場まで聞こえる程に
火がついたようにいつまでも泣くから

おばあちゃんが  堪えきれずに
「仕方ないねぇ」って
ワタシと
オムツと哺乳瓶一式を抱えて

何度も連れて帰ったって
母から何度も聞かされた話

ワタシも覚えてる
子供の時に  おばあちゃんが来て
寝かしつけようとしてるの
ワタシが寝たところで  帰ろうとするの

だから
何度も何度も
「ワタシが寝てる時に帰らない?」って
「お願い約束して?ねぇ約束ね!」って
聞いて  寝ないようにしてるのに

寝てしまって

起きておばあちゃんがいなくなってて
悲しくて悲しくて
何だか分からないけれど  悲しくて
ギャンギャン泣いたの  覚えてるの

若くて口うるさくて
気性が荒くて  情が厚くて
情が厚すぎるから  いちいち口出して
うっとおしくて

わがままで  酒飲みで
美容にうるさくて
でも  どこか天然で抜けてて
どこかお嬢様気質で

曲がったことが嫌いで
そのくせ愛人生活何十年も
やってて  矛盾だらけで
モテていて  自信満々で

決して世間一般で言う「美しい人」
ではないけれど
とても  とても
何とも魅力的な人

親族からも  母からも
(母は本当に大変な思いしたと思います
祖母は、物凄くナチュラルに
自分勝手で奔放な人だったから)

「アンタは気質が祖母にそっくりだ」と
(顔は似てない)
口を揃えて言われるのを

いつからだろう
ジンワリ嬉しく思っている
そんな自分がいました

とっても人に迷惑かけた人かもしれない
とっても母にとっては
酷い人だったかもしれない
恨むほどに  けれど

ワタシは  ワタシが思い出す
おばあちゃんは
いつも綺麗に着飾って
クーペの車に乗って  いい匂いのする

オシャレで好き勝手な
わがままだけれど憎めない

おばあちゃん

大好きだったよ

口うるさいのを煩わしく
思った時も沢山あったし
言ってはいけないことをぶつけてしまって
いつまでも後悔した時もあった

けれど

愛情深い
ワタシを誰よりも愛してくれた
手放しで愛してくれた
ワタシのおばあちゃん

大好きだったよ
ありがとう

今いっぱい泣いて
今日のお通夜からは  ちゃんと
母さんのフォローに徹するね
心配しないでね  大丈夫だから

天国でも
うっとおしく  口うるさく
めんどくさいけれど

愛情深い  情の厚い
愛情表現の下手くそなおばあちゃんで
待っててね

そのうち行くから
待っててね

今まで本当にありがとう
ありがとう 大好きだったよ

ワタシのおばあちゃん



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