時代の変容について
大学在籍中に興味深い文書を読んだことが今でも心に残っている。とはいっても約10年前なので内容は曖昧で著者の名前も覚えていない。その文書は時代変遷の分析から将来的にこういう世の中が来るだろうという論文だったのだが、今になってその通り進んでいるように感じるのだから学者というのは本当に大したものだ。ペンは剣より強しというが、知識もまた剣より強しだ。
内容としては政治経済についてである。石器時代から始まり、中世、近世の体制を経て現代は資本主義に落ち着いている。その後は共産主義・社会主義に向かっていくだろうという予測であった。内容記述が細かくできずに大変残念だが、今となってはタイトルも覚えていないので調べることもかなわない…。
以下に書くのはすべて個人の主観である。明確な根拠が無いので特に議論するつもりもない。
これから社会主義に向かっていくなんて普段の生活をしているとあまり感じないかもしれないが、私は社会主義の走りを既に現実世界に感じている。例えば幼稚園でのお遊戯会では全員が主役。脇役はいないらしい。小学校の運動会でもかけっこは全員1位。これらはモンスターペアレンツらに配慮した教育機関側が仕方なく採っている体制なのかもしれないが、こういう教育を受けた次世代の子供たちはどういう思想で成長するのだろうか?
ゆとり世代や悟り世代、Z世代など若者世代の呼称はたくさん作られてきたが、やはり世代が新しくなるにつれて競争心は減ってきているような気がする。Universe25ではないが、外的脅威を体感しづらい現代ではそういう個体が淘汰されていくような感覚は一般的か。
ご存じの通り、資本主義は能力主義・実力主義だ。成果を出せばお金が対価として支払われる。一方で社会主義は平等主義だ。誰が何をしようと対価は一定であり、全員が一定量の仕事をこなすという信頼の下で初めて成り立つ制度である。全員が主役であり全員が一位。こういった教育を受けた子供が資本主義を推進するとは考えづらい。
三つ子の魂百までというが、今の自分を振り返ってみれば理解できる。
「社会主義は正常に働くのだろうか、そんな時代が到来するのだろうか。」
主役と脇役が存在し、運動でも勉強でも順位が決まってきた私はそう思う。こういった価値観が自分に浸透しきっているため新しいものを受け入れられないし、信じられない。価値観でなくても技術だったり仕事のやり方だったり、生活技術だってそうだ。歯の磨き方は親から子へ伝染するし、洗濯物の干し方だって伝染するだろう。教育というのはそういうものなのだ。そして我々は新しい洗濯物の干し方を模索したりすることはほとんどない。現状に不満がないからだ。これらの一見どうでもいいような事柄に費やす体力や時間が無いとも言えるかもしれない。
今の子供がいきなり社会主義を推進して世界の体制が一気に入れ替わるとは当然思っていないが、我々の世界の足元にはすでにそういった潮流がある。
その時をこの目で見ることはないかもしれないが、競争社会に疲れた大人は輪廻転生後の人生に身を任せてみるのも案外悪くないのかもしれない。今の日常を流れに任せているように。
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