ヨガインストラクターとして「任せる」とは何か
先日紹介した書籍、「一流の仕事の「任せ方」全技術」を読んで(記事はコチラ)、自分の生業にしている仕事について考えてみた。
ヨガインストラクターとして
「任せる」というのはどういうことか?
私の答えはこうだった。
「任せる=伝える=手放す」こと
どういうことかというと、私がヨガインストラクターとしておかしてきた失敗談も踏まえて以下3段階で説明していく。
① 何を任せるのか?
②”任せる”は”伝える”こと
③”任せる”は”手放す”こと
インストラクター限定でなく、人に何かを伝える立場の人には、同じように言えるのかもしれない。マイトリドリの個人的な意見として、読み進めてもらえればと思う。
①何を”任せる”のか?
1時間のヨガクラスをやる場合、私たちは誰に何を任せるだろう?
私は、以下の様に考える。
【誰に】 クラスを受けてくれている人に
【何を】 ”動作”と”言葉の解釈”を任せる
インストラクターが、「右足を上げて」と言っても、本人が体を動かさないと動きは生まれない。「気持ちを柔らかく」と言っても、その解釈は人それぞれだ。
怪我をしないためにリスクや可動範囲は伝えど、「どこまで動かすか」という動きの最終判断は他者の中にある。また、言葉の解釈は、インストラクターは細部まで左右できない。できて、補足ぐらいだろう。
”動作”と”解釈”は、クラスを受けている他者に”任せる”ことになる。
②”任せる” は ”伝える” こと
私は、動作を任せる上で大切なことは、”伝える”ことだと思っている。なぜそう思ったかと言うと、書籍の以下1文からだった。
あなたは、誰のために何のために「任せている」でしょうか?
「一流の仕事の「任せ方」全技術」P.5より
任せるというのは、”何のために(目的・テーマ)”を明確にすること。私にとって、それは伝えると同じことだ。
インストラクターになった当初、私はヨガを”教える”と”伝える”を混同していた。どう違うかと言うと、私は以下のように考えている。
~ 教える ~
手段・方法を、身につけるように他者を導く
~ 伝える ~
目的やテーマを、動作誘導(言葉・動き)を通して、他者を導く
要は、目的が違う。それが具体的にどういったものかというと、例えばヨガの中でも定番なアーサナ(ポーズ)であるダウンドッグ。
教える動作誘導は、ダウンドッグの形にするための動作誘導。
~ 教える動作誘導 ~
手を平を大きく開いて、床を捉える。
背中が丸まっているようであれば、膝を曲げる。
手の親指の付け根で床を押す。
脇を自分の顔の方に向けて、肘から上を外回しにする。
お尻を斜め後ろに引く。
かかとを床に下せる人は下す。
伝える動作誘導は、目的(脇を伸ばす)へ導くための動作誘導。
~ 伝える動作誘導 ~
手のひらを大きく開いて、床を捉える。
膝を緩め、手で床を押してお尻を斜め後ろに引く。
両脇を長くする。縮まっている脇が伸びていくのを感じる。
もし、「ダウンドッグの形を知る」という事が目的であれば、”教える動作誘導”も”伝える動作誘導”となるだろう。だが、その目的部分がスッポリ抜けて方法論だけを伝えている事も少なくないのだ。
何のためにその動作を他者に任せるのか?
このテーマがブレた時、伝えている先の人の反応は正直だ。ヨガインストラクターとして働き始め、1時間のクラスをもった時、私は1から10まで動作誘導し、手段を伝え、”教える動作誘導”をしていた。そして、お客様から頂く意見と言うのは・・・
「難しかった」「言葉が多い」
「集中できなかった」
というものだった。そりゃそうだ。クラスに来ている人は教えてもらうために来ているわけではないのだから。
怪我をしないために手段・方法論を知識として身につけるのは、絶対的に大事で。だから解剖学という分野が、今日ヨガの中で大切にされている。ただ、それを「教えているのか?」「伝えているのか?」という立場の違いは大切だ。
動作を任せるのであれば、方法論はあくまでツール。目的・テーマを伝える時に、いかにそのツールを上手く使うかどうか。
何のために、何を伝えるのか、いつ、何を、どう使い。
ヨガの5W1Hみたい・・・笑
それらを伝えることが、動きを任せること。
だから「任せる=伝える」は私にとってはイコール。
③”任せる”は”手放す”こと
伝える上で一番大切だと体感していることは、解釈を他者に任せるということだ。
テーマ・目的という方向性は示せど、人はそれぞれ解釈が違う。「幸せ」という一言でも、何が幸せかの解釈は人それぞれ。ヨガの誘導の言葉でも同じことが言える。その解釈を、いちインストラクターが左右することはできない。もし、解釈を左右し始めたら、それは”指示・命令”となってしまうのではないだろうか。
だから、失敗から感じていた。
伝えた後の体感は、その人自身に任せる(=手放す)
解釈を本人に任せると同時に、私自身もそこに執着することを手放す(ヨガ哲学的に言えば”ヴァイラーギャ”)。だって、「私の伝えたいことを理解してもらおう、分かってもらおう」って、自分の考えを”教えてる”。そうすると、解釈に余白がなくなっていく。
ヨガインストラクターは、ヨガガイド(と私は思っている)。
大体の1時間の流れは決めておき、楽しむポイントや方法を伝え、危険を伝え、その時間をリードする。そして、その先の体感は相手に任せる。
旅行のガイドさんだって、同じだと思う。
「大聖堂を見て、凄いと感じてください」
「私は大聖堂を見た時凄いと感じたので、同じように感じる方もいるかもしれませんね~」
どっちが、大聖堂を見た時の解釈に余白があるでしょう?後者の方があると思いません?「人から解釈の余白を奪わない」という視点で考えると、ヨガの哲学的でいう八支則のヤマ(禁戒)の中のアスティヤ(不盗)とも言える。
だから、”伝える”は”手放す”。自分の伝えたい目的・テーマを持ちながらも、誘導する言葉に執着せず手放して、解釈は他者に任せる。
結果、「任せる=伝える=手放す」というのが、私の結論。
さいごに
私がおかしてきた失敗の事例を、書籍の中では「任せ方の2大失敗例」として、以下のように記されている。
①丸投げ:なぜその行為を行うのか伝えない
②マイクロマネジメント:細部に至るまで干渉し、考えに余白を持たせない
「一流の仕事の「任せ方」全技術」P.158~P.167より
なぜその動きを行うのかを目的・テーマを伝えない事(考えない事)は、丸投げと言えるだろう。また、1~10まで方法を伝える動作誘導する事は、マイクロマネジメントと言えるだろう。
だから、レッスン前に考える。
今日は何をテーマにしようかな。
何を使って、どうやって伝えようかな。
この2つの答えが自分の中で明確でクラスをする時、鳥肌を感じるような達成感を感じることがある。テーマ、選ぶ言葉、レッスンの運び、全ての要素のリンク、帰り際のお客さんの笑顔。全てがそろう時。
なんて言いながら、そんな機会は1年に1回あるかないかだけど。トライ&エラーで落ち込んでも、そんな瞬間があれば失敗も捨てたもんじゃないと思える。
私にとって任せるは、伝える、手放すだった。でも、「一流の仕事の「任せ方」全技術」を読んだ時、その人なりの”任せる”がきっとあるだろう。だから、最後はこの質問で締めくくりたい。
あなたの仕事で、「任せる」って何ですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?