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マルセイユ5 浮遊する建築

コルビュジェが唱えた「近代建築の5原則」のなかで、私が最も好きなアイデアは「ピロティ」だ。水平連続窓や自由な平面、自由なファサードといった、技術の進歩で可能になったデザイン上の自由だけでなく、ピロティからは都市問題に対する強い願いを見出すことができる。建築を浮かせることで、地上をパブリックに開放する。その発想が好きだ。都会では、建築物に大地という大地を侵食され、屋外で人々が過ごせる場所は、隙間を縫うような道ばかりだ。富める者には快適な部屋、シェルターがあるから別に良いだろう。だが、貧しき者は満足な環境のシェルターも無い上に、都市の中にすら休める場所が持てない。それが密度を極めた都市の課題だ。

ピロティというのはシンプルな概念だ。地上で建築が邪魔なら、浮かせちゃえばいいじゃない、ということだ。高床式倉庫が害虫・害獣から逃れようと浮いているのと、発想はあまり変わらないと思う。しかし、ピロティはその理想に反して、建物の下に薄暗いよどみを生んで都市環境を悪化させてしまう可能性もある。建物の下、たとえば暗くジメジメとした駐輪場、吹き溜まりに集まるゴミ、どこからともなく現れてタバコや薬を吸ってたむろする不良たち……失敗したピロティは、理想に反して、都市に負の場を作る。だから私は、ピロティの理念は好きだが、実際のピロティには懐疑的だった。床下、高架下。何かの下というのは感じが良くない。

ユニテ・ダビダシオンにも、ピロティがある。上に浮かぶ建築が大きい分、建物の下になる部分も大きい。個人住宅とは規模が違うピロティだ。偉大なる建築家は、その大きなピロティをどのように作っているだろうか。それを見るのが楽しみだった。

21番のバスを降りて、ユニテのエントランスを目指すと、自然とピロティの中に入ることになる。訪れる者が最初に体験するユニテ空間だ。不思議な感じだった。ピロティに入っていく、何かの下に入っていくという感じがあまりしなかった。巨大なユニテの存在感が、正面にいたときよりも薄れて、頭上の圧迫感が軽くなった感じがした。柱も天井もコンクリートがむき出しで、無機質な空間かと思っていた。けれども周囲は緑がキラキラと太陽光を反射させていて、自然の中にいる気になる。天井はフチの方が外に向かって高くなっていて、日差しがしっかり導かれていた。縁側に入る日差しに似ている。ピロティ=床下といった暗いイメージとは対照的な、清潔感ある空間だった。

ユニテの周囲は、芝と木々が整備されて公園のようになっている。バス停からユニテまで正面は平坦だが、背後は数メートル土地が高い。ユニテの外側を周るように、遊歩道がゆるやかなスロープを描き、背後へ続いていた。その高低差が、ピロティが緑に包まれているような錯覚を見せる。

面白いのは、正面から見ただけで、建物の裏側まで道が見えていることだった。ふつう、建物を正面から見た時に、その背後がどうなっているかは分からない。建物の横に入っていく歩道がその後どう続いていくのか、裏へは通り抜けられるのか。ひょっとしたら行止りかもしれないし、駐車場があるのかもしれない。そういう見通しの悪さが、都市にはある。けれども、ユニテではそんな事はない。建物の向こう側が見通せるのだ。それは、このピロティがそれだけ開放的であることを示していた。建築からの地上の解放。たしかに、それがここでは実現していた。

でもピロティは、何もないただのがらんどうで、正直オープンスペースとして活かされているのかは、なんとも言えない感じだった。ならばこのピロティは失敗なのか?そうは思わない。これで良いのだと思う。この空間には何も無い。でもこのピロティは、巨大な壁のような集合住宅の向こう側とこちら側をクリアに繋げ、地上に光を導いている。地上は建築から解放されているし、建築も大地から解き放たれて浮いている。モダニストがかかげた、建築の革命は確かに実現していた。


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