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マシュー・ボーンの「ROMEO+JULIET」を見て考えたこと

 昨日恵比寿ガーデンシネマまでマシュー・ボーンの「ROMEO+JULIET」を見に行ってきました。あらすじやオチは飛ばして、内容について考えたことを書きます。

私のマシュー・ボーン歴―全部で4回

「ザ・カーマン」(映画)

「白鳥の湖」(オーチャード・ホールと映像)

「くるみ割り人形」(映像)

バレエ作品との対比―双方の魅力に気づかされる

 クラシックバレエの「ロメオとジュリエット」(マクミラン版)は、ジュリエットの成長物語と言えますが、マシュー・ボーンのはロミオの成長物語と言えます。

 オドオドして何かに怯えていた少年が、施設内の舞踏会でジュリエットと見つめ合います。彼は自信を手に入れ、ジュリエットと共に羽ばたくように躍動します。そして、再び両親が迎えに来た時にはオドオドした演技をする、という自己の客観ができるようになったという成長があります。

 そんな彼が悪の権化ティボルトを絞殺するという展開はとても説得力があります。ロミオは痛みを背負えるほどの強さを身に着けたのでした。

 演目の題名は「+」で表現されています。1+1=2であるかのような構図ですが、ロミオとジュリエットが二人で一つ、一心同体になることを表しているのだと考えます。

 また、マキューシオの衣装がキルトなのはイギリス的で面白いですし、彼が同性愛者なのもマシュー・ボーン的で興味深いです。

 マシュー・ボーンの面白さは、クラシックバレエ作品の見せ場の重要性を踏まえた上で、新しい解釈、新しい演出をしている点にあると思います。例えばバルコニーのシーン。この作品中においても二人の感情の高まりを表しますが、周囲の環境の要素から全く違う高まり方の感情を描いています。女性が男性を支えるような振付があるところも、お互いが支えあっていることを感じさせる踊りです。そして、いわゆる「クッションダンス」と呼ばれる貴族の踊りの音楽。単音が力強く響く音楽ですが、マシュー・ボーンはそれを足踏みの音として用いたり、心臓の鼓動として用いたり、象徴的なシーンの節目として用いたりします。音楽に対する印象を具現化してくれるのがマシュー・ボーンだと思います。

 どっちが良い、ではなく、どっちも良い、と思えるのが彼の作品。クラシックバレエの作品も大好きになることができます。

 余談ですが、筆者がマシュー・ボーンの作品の中で大好きな部分がありまして。「白鳥の湖」から、王子一行がバレエを見に行くシーン。クラシックバレエではパ・ド・トロワの男性Va.として用いられている音楽、筆者は何か恐ろしい雰囲気を感じていたのですが、マシュー・ボーンはそれを怪物の登場として用います。筆者のイメージそのまま! 感激しました・・・。

我々は何に束縛されているのか

 マシュー・ボーンの作品は通じて「束縛と戦う人々」がテーマであるように思います。

 現在私たちを束縛しているものは何なのだろうと考えさせられました。束縛とは行動の制限と内面の制限があると思います。行動の制限だとするならば、今の私たちがコロナウイルス禍で行動を制限されていることを指すでしょう。外因ではなく内因はどうだろう。作品中では「こうあるべきだ」という大人たちの考えによって施設で矯正を受けている少年少女たち。今の私は「こうあるべきだ」という思いでかんじがらめになっていないだろうか。固定観念を自分に押し付けすぎて、何か大切なものを忘れていないだろうか。日常の忙しさに気を取られ、無意識に「こうあるべき」姿にさせられ置いてきたものはないだろうか。

  枠を固定し自分を当てはめようと必死だったことへの気付きが生まれたからこそ、この作品はより響いてきます。

我々は誰かを束縛しているのかもしれない

 もう一つ、社会の縮図として作品を見るならば、私たちは「ロミオとジュリエットを殺す大人にならないために」という北村氏の解説から考えることもできます。私はバレエ教室に通っているのですが、10歳以上年の離れた中学生と一緒にレッスンを受けています。自分も中学生だったのに、いつの間にかあの時の自分と10歳も年が離れてしまった。彼らから見たら私は大人なんだろうか。今の自分が彼らにできることは何なのだろうか。

 人に寄り添うこと。声に耳を傾け、手助けをし、土壇場で引っこまなくても良いような(作品中のおばちゃん先生やローレンスのように)社会を作ること、なのかな。

 あの時縛られていた自分はどうなったのだろう。

 マシュー・ボーンの作品は「子どもの夢を壊さないで」というメッセージも持っています。

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(「俺のBakery&Cafe」で食べた卵サンド。卵焼きがすごくおいしかったよ)

 なーんて書いているうちに、これが私が目指していた鑑賞の形かな?と思い始めました。自分と芸術の向き合い方の新たな方向性を模索しつつ・・・