消息不明の人になる
スマホのバイブの音が聞こえて、目が覚めたら揺れていた。大きな揺れだが声を上げるほどでもなく、おさまるのをじっと待った。建物がきしんだり、食器が割れたりするような音は聞こえなかった。
揺れがおさまった後、すぐにスマホを手に取った。時刻を確認、3時過ぎだ。次に「地震」でGoogle検索。早すぎたのかまだ詳細は出ていなかった。Twitterのタイムラインにも求める情報はあまりない。ただ、「揺れたあとにWi-Fiが繋がらなくなった」というツイートを見て、はてそんなこともあるのだなあ、とのんきに思っていた。後で考えるとそれが「停電したこと」のサインだったのだ。自分のスマホも自宅Wi-Fiに繋がらなくなっていた。
しばらくして震源が胆振東部とわかった。大きな地震だ。余震がひっきりなしにあって眠れないでいるうちに尿意を覚え、懐中電灯片手にトイレに行った。水が流れなかったことで断水になったことを知った。
夜明け前、会社から連絡があった。自宅待機するようにとのこと。初めてのことだ。仕事のために休息をとっておく必要はなくなったので、スマホで情報収集しまくった。バッテリー残量は減っていったが焦りはなかった。断水は長引きそうだけど、電力はすぐに戻るはずだと思っていたからだ。これは経験から思ったことだ。
20年以上前、道東で2度大きな地震を経験した。特に東方沖地震のときには断水が何日か続き、水洗トイレは使い物にならなくなった。母とふたりでポリタンクを持って給水車まで水をもらいにいったことは今も鮮明に覚えている。そのときでさえ停電は一瞬だった。電気は早いという先入観はこのとき生まれた。
ところが。
外が明るくなって数時間経っても冷蔵庫の音はしないし、レンジについているデジタル時計の表示は消えっぱなし。Twitterで「電気の復旧の目処は立たない」という情報を見て焦り始めた。調子に乗って調べごとをしていたから、スマホのバッテリー残量は20%を切っていた。これダメじゃん、バッテリー切れても死ぬわけじゃないけど、外から見ればわたしは「消息不明の人」になってしまうということじゃないか。電話もメールもできないのだから。
これじゃイカンとスマホを触るのをやめた途端、父からLINE。実家のほうも停電しているらしい。なんで? 震源からものすごい離れてるじゃん。しばらくしたら同じく実家の妹から電話。電池が少ないことを伝えたら話を手短にしてくれたので会話が中途半端になってしまった。要点をメールで送る。バッテリーはなおも減り続ける。だけど情報は欲しい。どうする? そうだ、あれの中にもしかしたらラジオが入っているかもしれない、と玄関に置きっぱなしになっていた防災リュックを持ってきて、初めて中身をじっくり見た。
これは東日本大震災の際に「備えは大事」と思って買ったまでは良かったが、そこで満足してしまってほったらかしになっていたものだ。水と乾パンが入っていることは知っているが、そのほかはよく知らないってやつ。とても恥ずかしい。この機会にじっくり見る。軍手があった。簡易枕や応急セットもあった。体を冷やさないための銀色のシートや三角巾、ホイッスルも。その中に手回し式のラジオがあった。ライトとしても使えるし、ケータイの充電もできる……って、できるじゃん充電!これにスマホ繋いでぐるぐるすればいいんでしょ? やったー!と思ったら、端子が合わなくてできなかった。
それでもラジオを聴けることは大きい。早速ハンドルをぐるぐるして周波数を合わせてみる。ふだんはテレビっ子でラジオなんぞ聴かないからどこの局かまったくわからんのだけど、どこかの地震関連放送が聞こえた。1分ハンドルを回せばおよそ15分程度は保つらしかったが、そんな時間はあっという間に経ってしまう。パワーが切れそうになると音声がフェードアウトしてザーザーとしか聞こえなくなる。またハンドルをまわす。そしてわずかの時間情報を得る。
停電は全道的なもの、これは道内最大出力の火力発電所がダメになってしまったから。停電しているのだから当然電車は走らない。市内の信号機はすべて消えて、警察官が手信号で誘導をしている。学校や企業は軒並みお休み。断水しているエリアがわかったが、わたしの住んでいるところはそこに入っていない。どうやらこれはエリアの問題ではなくて、ウチのマンションが電気が止まれば水道も使えなくなる物件ということらしかった。近所じゃ普通に水が出ているところもあるのだ。
水が出なくて困るのは、飲み水がないということよりも、トイレを流せないということだ。風呂に入れないのはある程度我慢できても、自分の体から出た排泄物を流せずに毎回確認させられるという状況が耐えがたい。今やくみ取り式のトイレなんて数少ないと思うから、断水が長引いたらほとんどの人がこの問題に直面すると言うこと。水洗トイレで排泄物を流すには、結構たくさんの水が必要だ。いかん、水を買いに行かないと。初動遅いぞ。
コンビニに行ったのは地震発生から2時間以上経ってからだった。暗い店内にはレジ待ちの長い列ができていて、もちろんもう水などない。しかたがないので飲むためのお茶を買って店を出た。別のコンビニにも足を運んでみると、こちらには水があった。2リッターのボトルはもうなくて、500ミリのだけだけど。5本買って家に戻る。幸い、食べ物に関しては数日分のストックがあった。この直前に台風21号が上陸するってんで備えておいたものだ。
だけど、その食べ物の大半が要冷蔵のもの。冷蔵庫はいまものを冷やせない状態だ。慌てて冷蔵室にあったものを冷凍室にぎゅう詰めにする。これでなるべくドアを開けないようにしないと。朝は冷やす必要も温める必要もなくそのまま食べられるパンを食べた。
買った水を数本分トイレのタンクに入れた(後でこれは意味がないことを知った。水はバケツなど大きな器に移して、便器に直接勢いよく流し込むのだそうだ)がまったく流れなかった。トイレは諦めてラジオを聴く。Twitterで計画断水があるとか、午後から携帯電話が使えなくなるとか言うデマが流れていると報じていた。情報は速いがデマが多い。それがTwitterだ、と前の震災の時に身にしみて解っていた。だから災害が関係ないときでも、Twitterとはそれなりの距離をもってお付き合いしている。ツイートを真に受けすぎると参ってしまうことが多いのだ。それでもこんな時にツイートを追ってしまうのは、電気も水も止まっている中でここだけが「動いて」いる気がするからだろうか。
給水場所をラジオで聴いて、もう一度外に出た。午後に入ってスーパーの前には長蛇の列が出来ていた。人数制限をして少しずつ入店させているようだ。空のペットボトルを数本持参で行ったが、給水所に着いてみると、その時間帯はまだ給水袋を用意してくれていた。3リッターくらいが入るやつ。とてもありがたかった。
家に戻り、またラジオを聴く。電力が完全に復旧するまでには早くとも1週間かかるらしい。そんな長い間、果たして保つだろうかと考えていると、トイレの水が激しく流れる音がした。まさかと思って玄関の灯りのスイッチを押すと明るくなった。おそらく大きな病院がそばにあったことで優先的にこの界隈の電気が復旧したのだろう。運が良かったとしかいいようがない。スマホの電池は残り8%。ギリギリ消息不明にならずに済んだ。道路を挟んで向かいはまだ停電中だ。すぐテレビをつけてスマホを存分に充電した。
映像で厚真の惨状を確認した。「平成30年 胆振東部地震」と地震に名前が付いた。自分の中でこの地震が「おおごと」になった瞬間だ。
ACのCMが少しずつ増えてきた。テレビは正直見たくない映像も多かった。新聞もたまにデマを流してしまうことを知った。余震はたびたび起こった。正しい情報は、今それを一番欲しがっている人たちにちゃんと伝わっているのだろうか。
実家の固定電話に電話してみたが繋がらなかった。停電していることは知っていたので向こうのケータイの電池事情に配慮して通話でなくメールやLINEで連絡をした。
一夜明けて二日目。やはり会社は休みになった。自分のところは水も電気も来ているが、まだ札幌市内では停電しているところも多く、信号機も全部が復活したわけじゃない。地下鉄も止まったまま。とても経済活動を再開できるような状態じゃない。
昼前に新千歳空港が復旧し、札幌ではJRや市電も走り出した。昼過ぎには地下鉄も動いた。だけど未だに「消息不明」になっている人もたくさんいる。携帯電話の充電器はどこも売り切れで、多くの人が情報を得がたくなっている。給水や炊き出しはどこでやっているのか。スマホの充電はどこでできるのか。避難所はどこか。そういう諸々の情報はどこに行けば教えてくれるのか。被災したのちに言ったって仕方のないことだけど、普段からそういったことを知っておくのはとても大事だと痛感した。
わたしは油断していた。道南や道東のほうは大きな地震が多いけど、道央はめったに揺れないとタカをくくっていた。考えを改めなきゃいけない。絶対安全な場所なんてない。生まれる場所は選べないし、人は生まれたところをやすやすと離れたがらないのだから、もしもの備えはいつかではなくて今やっておくべきと思った。水や食料、灯りの確保。ラジオは必須。情報を得られる場所や避難場所の確認。本当に本当に大事だからまだの方はいますぐに手をつけて欲しい。