かんづめ

わたしの知らない世界

 秋だ。食欲はあるが何食べたらいいかイマイチわからない。そして作るのめんどくさい。昔はいろいろ頑張って作っていたのにな・・・。

 思い起こせば、一人暮らしをはじめて一番最初に作ったごはんはハンバーグだった。

 それまで実家では料理なんてしたこともなく(お手伝いもさせてもらえなかった。台所は母の聖地である。)母が持たせてくれたレシピ本を頼りにものすごい時間をかけて作った。

 本に忠実に玉ねぎを刻み、肉をこね、調味料は大さじ何杯といったふうに至って真面目に。でも結局焼くときに中にうまく火が通らず、おまけに焦がしてしまった。しかも付け合わせの野菜を「彩りがキレイそうだから」という理由でムラサキキャベツの千切りにした点は、もうどうにも救いようがない。哀れムラサキの海に浮かぶ黒焦げの肉のかたまり。

 料理ってタイヘンだ。

 それから20年近く一人暮らしをしていると、どうしても料理は手抜きになってくる。ラーメン作るとなったら小麦からとかいうTOKIOみたいな情熱はもとよりないし、レシピの通りに忠実にというのもだんだん面倒になる。

 そんな時、スーパーやコンビニへ行けば、いくらでも「手抜き」が並んでいる。万能味付け調味料、冷凍食品、レトルト食品、加工食品・・・その中でも一番の「手抜き」食材だとわたしが思っているのはカンヅメだ。

 もちろんもうあれは「料理」とは言えない。カンをを開けたらそのまま食べられるもの。でも実家にいたころカンヅメがそのまま食卓に上がることは結構多かったように思う。一応皿に盛り付けなおしているから、「買ってきた惣菜をパックのまま食卓へ」みたいなヒドさはないものの、手抜き感は拭えない。カンヅメというのは、あくまで保存食であり、そのまま食卓に上がるものではなく、よほど困った時に出てくるものだというのがわたしの認識である。

 お手軽すぎるカンヅメという存在に反発を覚え、誰が見ているわけでもないのに手抜きはするまいと、ウチではカンヅメを食卓に取り入れることはなかった。

 しかしあるとき、すごくヘンテコなカンヅメを発見してしまった。ウインナーソーセージのカンヅメである。えっ、ウインナーってカンヅメにするもの?と驚愕してしまう。

 これは気になる・・・。

 わたしの中ではウインナーはパックから出したら火を通さなきゃいけないもので、その後の加工が一切必要ないカンヅメとはどうしても頭の中で結びつかなかったのだ。これは・・・カンヅメでありながら、調理を必要とするけしからんヤツなのでは?

 なんとわたしはそのカンヅメを買ってしまった。

 家に戻り開封してみると、適度な長さに切りそろえられたウインナーが、縦向きにみっちり詰め込まれている。ちょっと可笑しい。皿に出してみると、なんとも安っぽいようなウインナーである。断面がなんか魚肉ソーセージっぽい。わたしあれ苦手なんだよ・・・。

 味にはまったく期待できんなぁと思いながらひとつ口に放り込んでみると、これが意外とイケた。外の皮がプリッとした食感で、カンヅメにしては美味しいと思った。保存食がこのレベルだったら許せるのじゃないか。お酒飲む人ならツマミでもイケそう。あくまでわたしの見解だけども。

 それから何となくカンヅメが気になりだして、しばらくしてからカンヅメBARに行ってみたのである。そこには全国各地から集められたカンヅメが並べられていて、食べるときは都度精算のシステムだった。食べたい缶詰をレジまで持って行って会計を済ませると、のちにマスターがなにかしらの一手間を加えたカンヅメを持ってきてくれる。カンヅメに一手間かけるという発想がそれまでなかったので、これにもびっくりした。いいじゃん、カンヅメ。楽しいじゃん。

 そんなわけで、わたしのカンヅメに対する見方というのはだいぶ変わった。カンヅメだって、一手間かければ立派に「料理」になるのだから、そんなに避けることもないじゃんって思えたのだ。今はサバの水煮を味噌汁にしたりマリネにしたりとカンタンなものに挑戦しているが、今後もっと幅を広げて行きたいと思う。

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