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人は本当に食べないと生きていけないのか?


今日のタイトルは、最近ふとした瞬間に私の中に降りてきた疑問です。

「人って、本当に食べなければ生きていけないのかな?」

「栄養バランスをきちんと考えて食べないと健康でいられないのかな?」

「本当は食べなくても生きていけたりするんじゃない…?」

なぜか、突然そんなことを思ったのです。

というのも、先日、父から愛情込めて育てた夏野菜たちがたくさん届いたときのこと。

その野菜を食べていたら、それだけで満たされて、お肉やタンパク質類をあまり欲しなくなっている自分に氣づいたからです。

その時の様子はこちらの記事に↓


ベジタリアンになろうとか、そう思ったわけでは決してないのですが、最近、お肉や魚を摂ると胃がもたれたり身体が重くなるんです。

そんなタイミングで出会った不食者のCHIKOTOさんのnote。


CHIKOTOさんのnoteやご著書を拝読して、なんとなく私自身が感じていたことが、確信に変わりました。

【不食】という言葉は

山田鷹夫さんが創った造語です。

2001年にかつて誰もやったことの無い

「人は食べなくても生きられるのか?」という疑問を抱いた山田さんが

自身の身体を使い実験をして

本当に【人は食べなくても生きられる】ことを身をもって理解したときに

創られた彼の造語なのです。

本当に凄い方です。

●断食は「人は食べなくては生きられない」のに「食べるのを我慢する行為」
修行的、苦行的な行為。

●不食は「人は食べなくても生きられる」ので「食べるのを我慢しなくてもいいし、食べてもどちらでもいい」
お気楽な趣味、ライフスタイル。

【断食】と【不食】は似たように見えて全く違う意識なのです。
食べなくても生きられるという意識を
【不食】という言葉にしてくれたのが山田鷹夫さんなのです。


そう、私たちの中での大前提として

「人は食べなければ生きられない」

という固定概念がありますよね。


これまでだったら大抵の人が疑うことのなかった常識でさえも、今は軽やかに手放していける時代なのかもしれません。


私はもともと少食で、いつもたくさん食べられる人っていいな〜という憧れを持って生きてきました。

子供の頃から、給食も我慢して全部食べていたところもあるし、なんでもモリモリ食べられることが良いことだと思いこんでいたので、少食な自分をダメだと思っていました。

「たくさん食べないと大きくなれないよ。」
「牛乳飲まなきゃ背伸びないよ。」
「栄養バランス考えないと健康になれないよ。」

誰しもこう言われて育ってきたのではないでしょうか。

その大前提を覆すというのは、かなり勇気のいることですが、私の身体がそう言っているのだからもう無視はできない、と思いました。

もともと1日2食とかでも平気で、基本的にお腹が空いたら食べるスタンス。

こうして書くことに夢中になっていたりすると、食べることを忘れてしまうこともあるくらい、もともと食への執着は強くないので、すでに不食者に片足つっこんでいたのかもしれません。

だけど、

「食べなければ生きていけない」

という固定観念は強く持っていたので、

「しっかり食べなければ健康に悪い」

と自分に言い聞かせて、食べるようにしていました。


しかしここ最近で、この根深かった固定観念がポーンと外れただけで、ものすごく心が自由に軽くなった氣がします。

こんな少食な私でも、

「食べなければ生きていけない」

という常識を強く信じていたときは、

「断食なんて絶対ムリ。」

と思って、チャレンジしたことはありませんでした。


でもよくよく考えてみたら、自然の流れで食べたくないときは食べないこともあったので、自然とプチ断食のようなことは昔からやっていたことに氣づきました。

食べてはダメ!

と禁じれば禁じるほど、人って渇望するものですよね。

食べても食べなくてもどっちでもいい。
身体が食べたいと言えば食べる。
身体が要らないと言えば食べない。

そんなライフスタイルが、今の私には合ってるなと思いました。

そんなふうに毎日丁寧に自分の身体の声を聞いて、ゆるっと不食生活をしてみようと思います。

何事も人体実験してみないと氣がすまないタチなので。
今後の変化はまたnoteに綴りますね。





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