彼とわたしを繋いでくれたもの
「また、こんな時間まで長電話してたの?」
2階の自室からリビングに戻ると、母に小言を言われる。
だけど、どことなくわたしの雰囲気が楽しそうに見えるのか、それ以上あまりうるさくは言わなかった。
「1999年、世界は滅亡する」というノストラダムスの大予言を経て、無事に2000年というおめでたい年を迎えた春。
そんなミレニアムイヤーに彼と出会った。
わたしは高校2年生になっていた。
高校受験を無事に終えたわたしは、「白線流し」で有名な高校に通っている。
2年生の春のクラス替えで、彼と同じクラスになった。
いつも先生に叱られているような茶髪でヤンチャな雰囲気だった彼に、当時まじめキャラだったわたしは、ちがう世界線の人だと感じて近づくことはなかった。
6月に開催される文化祭。
クラスで打ち上げをしたときに、はじめて彼と話をした。
ふと気づいたら、時間も忘れて彼の話をきいていた。
無邪気な笑顔と明るく豪快な声で、おもしろおかしく中学時代のエピソードを話す彼に、知らぬ間に夢中になっていた。
今やガラケーと言われる携帯電話の番号を交換して、帰りのバスでさっそくメールを打った。
「話せて楽しかった!また話聞かせてね!」
そんなメールをしたように思う。
「また、今すぐにでも彼の声が聞きたい。」
そう思っていた。
それまで電話が苦手で仕方なかったはずなのに、翌日からちょくちょく彼と長電話するようになった。
しかし今みたいに、アプリで無料通話できる時代ではない。
携帯電話でこっそり長電話していたら、びっくりするくらいの高額請求が実家に届いて、母親にこっぴどく叱られた。
「電話したいなら、家の電話を使いなさい。」
そう言って、何も聞かずに家の電話で長電話することを許してくれたのだ。
反抗期まっただなかだったわたしは、当時母に「好きな男の子ができた」なんて話をするわけもない。
中学時代には、一時期学校に行けなくなった時期もあった。
でも、彼と出会って明らかに毎日元気に楽しそうに学校へ行くわたしの姿に、母は事情をなんとなく察したのだろう。
何も聞かず、こっそりほほえましく見守ってくれていたのだった。
お互い恥ずかしがり屋で、学校で話すことはほとんどなかった。
家に帰ると、電話して彼の声を聞く。
いつしかそれが日課のようになっていた。
明日から夏休みに入るという前夜のこと。
しばらく学校で彼に会えなくなってしまう・・・
「彼はわたしのことどう思っているんだろう?」
「明日から会えない。会いたい。」
「いっそのこと、わたしから告ってしまおうか?」
そんな気持ちをぐるぐるさせながら、彼に電話をした。
いつもどおり他愛もない話をして、今日も普通にバイバイして終わりなのかな。
勇気を出してわたしから告白しようか・・・
そう決意した瞬間に、奇跡が起きた。
「⚪︎⚪︎さん、好き。付き合おう。」
びっくりしすぎて、胸が高鳴りすぎて、わたしの声はうわずっていたと思う。
「わたしも好きです。よろしくお願いします。」
正直、ちゃんと答えられたのかはよく覚えていない。
高校を卒業して、大学では離ればなれになってしまったけれど、わたしと彼はもともと「声」で繋がっていた。
だから、距離はあまり関係なかった。
遠距離恋愛でも、毎日のように電話してたくさんのことを話した。
顔の表情は見えないからこそ、「雰囲気で察してよ」というのは難しい。
何もかも、言葉で、声で伝えるしかないのだ。
彼との長年の電話生活のおかげで、昔から苦手意識が強かった「気持ちを言葉にして伝えること」や「思いや意見をはっきり伝えること」が、できるようになっていった。
反対に、彼の最初の「もしもし」だけで、瞬時に今どんな気持ちなのか、どんな感情なのかも想像できるようにもなった。
社会人になって、わたしは夢だったCAになって海外へ渡った。
さすがに「国際電話」は高額すぎてできなかったから、メールがメインになった。
異国の地で、彼の声が聞けない。
寂しさに何度も涙した。
だけど、数年経つと「Skype(スカイプ)」という救世主が登場してくれた。
距離が離れてしまったけど、わたしたちはずっと「声」でつながっていた。
そんな彼とのコミュニケーションの積み重ねが、今こうして日々文章を書ける土台になっているのかもしれない。
あれから20年の時を経て、まもなく時は2025年を迎えようとしている。
今は毎日、彼の「行ってきます」の声を聞いている。
当たり前すぎて忘れてしまっていたけれど…
あのころは、聞けるだけで胸が高鳴っていた彼の声。
それを毎日そばで聞ける生活。
なんて幸せなことなんだろうか。
これからも、少しでも長く彼の声を聞いていたい。
2024.12.06
ことばと広告さん主催
テーマは「こえ」
エントリー作品として書いてみました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。