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感情が忙しいと書き手はどうなるか。

このnoteの執筆習慣として、だいたい、土日のどちらかに小説からエッセイをあげている。
さほど読者がいるというわけではないのだが、スキのリアクションやダッシュボードの数字の変遷を見ていて、
少ないながらも、定期的に見てくれている人がいるのだなと思う。
それは一書き手としてうれしいし、
もし、見てくれている人がいるのならば、なるべく定期的に更新していきたいと思う。
現状では、土日になにかしらの更新をしたいなあと思っている。
会社員の私は平日に会社員として会社員の仕事に邁進し、休日に気ままな書き手になるのだ。

しかし、土日に更新されないときは、(まあ今回もそう)
その土日に、創作や文章を書くエネルギーが捻出されていない場合がある。

そういうことはまれにある。

前回は、たしか友達の結婚式で大阪に帰省していてバタバタして、そして感情が揺れ動いて、書く気分にならなかった。
ちなみにそのとき、少しブランクをあけて書いた記事はこちら。
なんていうか、あぁ、ラ・ラ・ランド
センチな気分になっていて、ラ・ラ・ランドでたきつけられた。揺れ動いた感情をようやく整理できて編み出されたのがこの記事。

今回はというと、
GWの大型連休で実家に帰省して、そこで普段直接コミュニケーションのとれていない(普段会話できていない)人々に会い、いつも考えないことを考えたり、いつも放置している感情がむき出しになり、整理されていない思考を整理するのに時間がかかっている。というわけである。

実家とはいえ、帰省するのはもはや、非日常イベントになっていて。
日々の会社員としての生活、休日の気ままな書き手の生活のルーティンから逸脱しているからこそ、いつものように書けない。

帰省という非日常イベントはいつだって、
自分の生き方とか、これからの将来のこと考えさせられることが多い。
「このままでええんやろうか?」
「素直にこうしていきたいと思うけどうやろうか?」
とか、そういう問いかけがいつにも増して多いし、激しいのだ。
いつも正しいと自分の中で納得させてきていることが、果たして正しいのだろうか、正しいと処理していいのだろうか、間違っているのではないだろうか、疑わなければならないのではないかと。
軸が揺れに揺れる。
そして、旧友や家族に正直な思いや感情を吐露するにあたり、返ってくるリアクションはさまざまで、
また感情が揺れに揺れる。

具体的に言うと。
アラサーで、女性で、小説家志望で、会社員で、
恋愛結婚パートナー軸、仕事軸、夢や自己実現軸。
関心ごとが多すぎる。その関心ごとの分だけ悩みやすい。
悩みごとを欲張りすぎと言われることもあるけど、それって年代的に仕方なくない?
頑張りすぎ、もう少し力抜いたらええんちゃうんって言われるけど、力を抜きたくても抜けない外的要因があることだって理解してほしい。
いろいろと達観できる年齢でもないでしょ、ていうか、達観しちゃだめでしょ。
そういう自分の言い分もありつつも、
他者の発言にはっとさせられることもあるわけで。

感情が忙しいというのはそんな事情。

自分の行動だけで解決できるわけでもないという事情があるから悩むんだけど、悩んだところでどうにもならんことはどうにもならんわけで。
であるならば、
結局自分で決められることだけを決めていくしかない。

私にできることは文章を書くということ。

文章を書くということは、カオスになっている感情や思考をある程度整理させてこそできる作業でもある。
カオスのまま、収集がついていなければ、まず、それらを固めたりまとめたりする必要がある。
そうするためには黙って思索にふけったり、眠って脳内を整理しなければ、収集がつかない。
ということで手間がかかる。
長期休暇ということで、体がだれているのもあるが、脳がいつにもまして忙しいから、睡眠を体に求めてくる。というわけでよく寝ている。

このカオスな状態でひとつだけ明らかな答えが
やはり、私は文章を書かずにはいられない。物語らずにはいられないということだった。
言葉をつむぐこと、文章を書くこと、物語を作ること、そうやって記録に残していくことが大切だと思っていること。
その軸だけはぶれずにいる。

そもそも、なぜ、書くのか、
文章を書くのは、面倒な作業だ。手間がかかる作業だ。
それでも、なぜ書きたいと思うのか。
そう問いかけたとき、
最初に浮かんだのが、単純に言葉をつむぐことが好きだからということ。
あと、言葉にしなければ納得ができないからだということ。

それはつまり、自分に正直になりたいということ。

正直に生きていないとは言わないが、
飲み込んできている言葉があまりに多すぎる。
言葉を浮かべて思考や感情を整理する私にとって、飲み込まれた言葉は行き場をなくす。それはフラストレーションになる。
その行き場のなくした言葉を救うために、文章を書いているし、物語っている。

難儀なのは、
自分にとって大切な人には、
大切だからこそ、正直に口に出せない想いだってある。
言いたいし知ってほしいけど、今は言うタイミングではないなとか。
大切な人だからこそ、相手を尊重したいからこそ、自分の言いたい感情は今言うべきでないなとか。
相手が受け止められる余裕が持てたときに話したいなとか。

感情を忙しくさせるのは、いつだって、大切だと思う人だ。
大切な人だからこそ悩まされることが多い。
でも、悩むのであれば、大切な人のことで悩みたい。そう思う。

ということで
いままでの記事の中で一番読まれている記事を張っておく。
小説家を目指すアラサー女の今年の抱負

今年の抱負であり、令和の抱負でもあるなあと。

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