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宝物のタカラモノ

先日、幼少期からの親友に赤ちゃんが産まれた。小学校、中学校が一緒で、それ以降もずっと変わらず仲良くしてくれている、地元の幼馴染み。
「maico以外に思い付かないよ」と、結婚式の友人代表スピーチに私を選んでくれた、唯一無二の大親友。

(案の定スピーチはグズグズに泣いたけど、地元の友達も一緒になって泣いてくれて最高の思い出だった。鼻すすってるときにがんばれー!って応援してくれた知らないおじさん、ありがとう。忘れられない、去年の夏。)

出産の10日くらい前にも一緒にお茶をして、おなかを触らせてもらって、「無事に産まれてこいよー」なんてムニョムニョ念を送ってみたり。

こんなとき、『親友』というポジションを以ってしても「出産がんばってね!」というありきたりの言葉しか掛けられないのだということに、このとき初めて気が付いた。

結局のところ、気持ちは寄り添えても、最後に身を粉にするのはママひとり。そりゃあ、おなかに命を宿したその瞬間から「母は強し」なわけだ。ママ最強。

このご時世のせいで出産時の付き添いもその後の面会もできない状況の中、彼女の陣痛が始まったと知ったわたしは「気持ちだけはずっとリモートで手握ってるから!」とメッセージを送った。
いつもと変わらない元気そうな返信に既読をつけた後は、「あぁ、大丈夫だな」というどっしりした安心感に包まれ、特にそわそわと祈るでもなく、そっとスマホをオフにした。

次の日の朝、長引くリモートワーク体内時計のまま、全くGWを満喫できず布団でダラダラ溶けていたわたしの枕元から、数回通知音が鳴る。

「今朝産まれたよ!」

写真をスクロール、タップ、スクロール。

体重計の上に乗せられたその子は、ふにゃりとしていて、なのに目鼻立ちがすっかりママに似ていて、パパの遺伝らしい髪の毛はもう黒々としていて。つい先日触れたおなかの中ではもうこんな姿をしていたのかと、あまりにも不思議な、味わったことのない気持ちになった。

『結婚・出産』が視野にないどころか擦りもしない人生を送っていることもあり、本当に、心のそこから、生命の神秘を感じたのだ。

「おめでとう!お疲れさま!」という極めて装飾のない返信の裏では「すごい!親友のおなかから、親友と似た顔の、ちゃんと人間のカタチをした生き物が本当に出てきた!!!」くらいの、どうあっても自分に置き換えて想像することのできない、とても不可解で、美しい現象が、理解の範疇を超えたまま脳内で宇宙を創っていた。

そんなわたしでも、特別赤ちゃん好きでもない、赤ちゃんの誕生を不思議がるようなわたしでも、写真を見た瞬間「可愛いタカラモノだ」と思ったのだから、自分の子供というのは、本当にかけがえのない、唯一無二なんだろうね。

この状況の中、逞しく産まれてきてくれた強い子。
親友のところに来てくれてありがとう。
パパとママは、わたしが知る限り世界一の仲良し夫婦で、君に溢れんばかりの愛情をくれる人だよ。

親戚でも何でもないお姉さんがたまに会いに行っても、ギャン泣きしないでくれるかな、おばさんって呼ばれる前に、顔覚えてくれるかな。

春の太陽のような子、ようこそ世界へ。
元気にすくすく育ってね。おめでとう。


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