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実はよく知られていない、誹謗中傷に対する法的手続 ざっくり基礎知識 プロ野球選手の場合

横浜DeNAベイスターズが8月の9連戦を終えた、その翌日。
朝一番にこの投稿を目にしたプロ野球ファンは決して少なくないでしょう。


誹謗中傷行為等への対応に関しては今シーズンが始まってすぐ、そして進捗状況の報告としてオールスター開催時期にそれぞれ選手会の方からアナウンスされていた。今回、初めて選手個人のアカウントからこのような発表があったことでその反響も大きいように思える。

で、この投稿に関しての反応を眺めているうちに「あれ、意外と皆さんご存知無いのだな……」と思うことがちらほら散見されたので、自分の備忘録がてら仮想Q&A方式でざっくりまとめてみることにしました。

こういう法的手続は球団主導で出来ないの?

難しいみたいです。というのも、批判や中傷の対象になっているのはもっぱら選手個人。球団や選手会ではないんですよね。あくまでも対象となっている選手個人が、開示請求をしていく者の権利侵害があると示さなくてはいけません。

ですがこのリポスト投稿からも分かる通り、今回のこの動きは
「関根大気選手個人からの申し立てを日本プロ野球選手会の顧問弁護士による誹謗中傷対策チームが全面的にバックアップし、法的手続を行なっている」
ことが分かります。この形なら選手主導のもと、選手個人本人が手を煩わせることは最小限に抑えた上でシーズン中でも対応が可能になるんですね。

そもそも、情報開示請求って何?

正式に書くとプロバイダ責任制限法第5条に基づいて行われる情報開示請求、になります。インターネット上で他者を誹謗中傷するような表現を行った発信者の情報(住所・氏名・電話番号等)について、プロバイダに対して情報の開示を求める制度です。
流れとしては、
弁護士→裁判所→X(旧Twitter)社プロバイダからIPアドレスとタイムスタンプを提供→該当者のアクセスプロバイダがそれを元に個人情報を特定
「この書き込みしたの、どこの誰よ!?」と依頼を受けた弁護士が裁判所を通じて問い合わせる手続って感じでしょうか。
これが完了することで、どこの誰が該当する内容を投稿したのかが分かります。
関根選手はこの段階まで完了したことを発表した形です。
ここから民事裁判になるのか、その前に双方の話し合いの下条件付き(謝罪、同様投稿の禁止、慰謝料など)で和解するのか、はたまた刑事裁判になるのかは相手次第になります。

時間、お金、だいたいどのくらい掛かるの?

個人的に調べた範疇なので弁護士費用は弁護士や案件内容によって異なってきますが、発信者情報開示請求1件あたりおよそ25万円〜、プロバイダとの裁判を通じて情報開示を求めて認めさせるまでに3〜4ヶ月以上掛かるそうです。
プロ野球選手が小銭稼ぎに……なんて、そんなこと言えない費用と時間、そして手間が掛かってるんです。

有名人はある程度言われるのも仕方なくない?

有名税でしょ、被害者主導過ぎる、高い給料貰ってるんだから……こんな感じの声も多く見受けました。
法律の世界では確かに有名人の場合情報開示請求のハードルは高くなってしまいます。というのもプロ野球選手の場合は該当投稿が誹謗中傷になるのか、それとも選手のパフォーマンスに対する評価なのか、その判断が難しくなってしまうからという事だそうで。特にチームの負けが込んでいたり、選手の成績が芳しくなかった場合のプレイそのものに対する感想や評価の場合はある程度受け入れましょうよ、という捉え方になってしまいます。
ですが、選手個人への人格攻撃になると当然ながら話が変わってきます。

主にどんな内容が開示請求されるの?

民事上、主に2つに分けられます。

名誉感情(侮辱)侵害

一般的(社会通念上)に許される限度を超えた、相手の感情を害する侮辱にあたるもの。客観的事実が含まれず、抽象的なものもこれに含まれる。

名誉毀損(名誉権毀損)

相手の社会的評価を下げるような内容や事実をもとにした内容のもの。
(例:窃盗の前科がある、等)
明確に個人が特定され、内容やその根拠付けが具体的である必要があります。
投稿で言及されているのが現実の本人と分かる可能性を「同定可能性」と呼びますが、名誉毀損の成立条件に必要な条件になります。
ちなみにその判断はわりと緩めで、伏せ字やイニシャル、ハンドルネームなどを用いた書き込みでも、投稿内容や文脈から認められる可能性は十分にあります。
名誉感情侵害では必須条件までいかず、中傷された本人自身が「自分が人格攻撃されている」と感じたらそれは権利侵害の判断として認められます。

そんなのいちいちやってたらキリなくない?

直接のリプライでもないものまで一件一件やるの?なんてコメントも見受けました。確かに、いちいちことあるごとに裁判を行なっていては大変です。
名誉感情侵害となるかの判断は、下記のような事情が考慮されます。

  • 投稿内容

  • 投稿前後の文脈、投稿に至る経緯

  • 投稿方法(回数や頻度、期間)※ここ見落とされがち

  • 投稿の動機、目的

この程度の言葉でもダメなの?というコメントについては単語ひとつひとつを言葉狩りのようにしている訳ではなく、あくまで本人が上に挙げたポイントを加味した上で投稿を確認していることを念頭に置いて欲しいなと思います。

おわりに

これ以降は私自身の中で少し思ったことを綴ります。知りたいことが分かったのでお前の話はええわ!という方はここでお別れです。
お読みいただきありがとうございました〜

お時間のある方、よろしければお付き合いいただけると幸いです。


こちらの記事、覚えておられる方も多いかと思います。

何か行動しなければと感じた。(悪質なツイートが)はびこっている状況はおかしい。『死ね』『殺す』など人格否定は、あとに『がんばれよ』とつけても、言ってはいけない。明るみに出すことで“抑止力”になる

記事文中より引用

結局、この頃から特に何も変わらずここまで来てしまったのだなあ。

実社会の人々、いうなれば群衆の心理に関してフランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンは集団心理についてこう記している。

われわれの日常行為の大部分は、われわれも気づかない、隠れた動機の結果なのである。

ある断言が、十分に反覆されて、その反覆によって全体の意見が一致したときには、いわゆる意見の趨勢なるものが形づくられて、強力な感染作用が、そのあいだに働くのである。群衆の思想、感情、感動、信念などは、細菌のそれにもひとしい激烈な感染力を具えている。

『群集心理』ギュスターヴ・ル・ボン

ある断言、が選手に向けられた過激でわかりやすい言葉だとして。
それが不特定多数の人たちによって、何度も何度も繰り返されるうち
「そう言われても仕方がない」
「みんなそう言っている」
「だから自分も少しぐらいは」
と我々が気づかない隠れた動機として、広まっていく。

『いいね』で広まる共感は知らぬ間に押し付けられているから。
何か物申したくなる空気の中で、私もそうかもしれない、ではなくて、私は本当にそう考えているの?と口をつぐんで問うてみる。衝動的に言葉を発する前に個人個人が自分にこう問いかけることで、誰かを傷つける一歩手前で立ち止まれるかもしれない。

本当に自分がそう感じているのかな?
誰かから借りてきた言葉で納得しようとしてないか?
繰り返し見たその主張は、もしかして知らないその他大勢に煽られて作り出されたものじゃないか?

私は正義を振りかざしたい訳ではなく、分からない事に対して分かったフリをしていたくない。ただそれだけ。親指ひとつだけを動かして分かりやすい言葉に飛びつく事なく、分かるまで考えたい。考え続けたい。
1分以下の動画が何百万回と再生され、140字以下の文章が1日に何度もやりとりされ、イントロがつまらない曲はすぐにスワイプされて忘れられてしまう。
そうやってかんたんな分かりやすさが求められる世界の中で、私は何よりも一番分かっていないわたし自身をちゃんと分かろうとしたい。

福投手の「明るみに出すことで抑止力になる」、そして今回の関根選手による「誹謗中傷はなくしていきましょう、という声掛けをして頂けたらと思います」というメッセージ。二人の願いは共通している。

かつてソクラテスは「無知は罪」だと言った。
まずは知る事から全てが始まる。

よく分からない、がちょっと知ってる、になるだけでも
きっと世界は変わるから。



【参考文献】

「しょせん他人事ですから〜とある弁護士の本音の仕事~」第1巻・第3巻・第6巻・第7巻(原作:左藤真通/作画:富士屋カツヒト/監修:清水陽平、白泉社、2021年・2022年・2024年)

「群集心理」(ギュスターヴ・ル・ボン/櫻井成男訳、講談社学術文庫、1993年)

弁護士法人泉総合法律事務所「名誉毀損と名誉感情侵害の違い」
(2024年8月15日閲覧)
https://sakujo.izumi-legal.com/column/chishiki/meiyo-chigai


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