『生物から見た世界』から感じた「らしさ」
おはようございます。
さて本日は前回参考文献として読んだ本を紹介しながら、「らしさ」探しの旅の歩を進めたいと思います。
※内容は全て僕という存在のフィルターを通しています。従って盛大に誤読している可能性が高いことをご了承ください。
最初は一番気になっていた『生物から見た世界』
細かいことはさておきこの本の感想を一言で言うと、
「お前が見てる世界、当たり前じゃねぇーからな!」
です。
1909年に世に出たこの本ですが、この時代はアインシュタインを筆頭に物理学がものすごい勢いで発達していた頃ですね。
そんななか、ユクスキュルは生物学を通して、世界に新たな見方を与えてくれました。
それが「環世界」です。
この環世界という概念は、それまで常識とされていた世界の見方に新しい視点を与えてくれました。
人間が見ている世界が絶対だと思い込んでしまうと、説明できないことあるよね?みたいな問題提起のように感じました。
そしてこの本が出る少し前には物理学の分野から、アインシュタインの特殊相対性理論が発表されています。
この概念も、「時間は絶対的なものではない。主体によって感じ方の変わる相対的なものだ。」
ざっくりこんな感じイメージだと思っています。
物理学、生物学の異なる領域から、同じ時期に似ている概念が出てきていたというのは、なんとも興味深いです。
少し話がそれました。
本筋に戻しましょう。
◆らしさ探しのヒント
ここからは、僕なりに本書から「らしさ」を紐解くキーワードをピックアップしてみました。
環世界
知覚時間
なじみの道
それぞれの語を多分に誤読を含みながら、僕の解釈を開陳します。
環世界 ⇒ 人を含めた生き物の数だけ世界はある。
知覚時間 ⇒ 時間の流れ方、感じ方もみんなばらばら。
なじみの道 ⇒ 経験によって作られる感覚。
細かな内容は完全に抜き去って僕が、らしさ探しに役に立ちそうな視点で要約していることをご了承ください。
ここからはなぜそう思ったのかを言葉にして整理しようと思います。
◆環世界
ユクスキュル氏曰く、生物種によって世界の見え方(認識)は違うんだよ、っていうことを様々な事例をもとに説明してくれているのですが、
要は、目の前に広がっている世界がどう見えているか、またどう感じたのか、は生物種(さらには個人個人)によって異なる、というイメージです。
この概念はよくこんな言葉で社会的に普及していると感じました。
「多様性」です。
「多様性」という言葉もこの環世界という概念のエッセンスが含まれているように感じます。
多様性って言い換えると、僕もあなたの考えや感覚を比べた時に何かしらの違い(差異)がある、ということだと考えているからです。
なので多様性という言葉は、きっと「らしさ」につながっていると思ったんです。
(余談ですが、多様性とかを何も考えずに使っている人が多いなって感じる時があります。よくあるのは、仕事で多様性とかダイバーシティとか話しているのに、「仕事で昇進したいなら飲み会に来い」、とかいう人、ロジックどうなっているんだろうか。笑)
そしてこの本はこの環世界を構成する要素を3つの空間で表現しているのですが、
これは僕の中でとても参考になる考え方でした。
作用空間
その事象を通して、心と身体がどのように動いたのか
触空間
どんな手触りだったのか、実際に触れられないものであってもどんな感触と感じたのか
視空間
どのように目に映ったのか、実際に見える景色だけでなく、どんな印象を受けたのか
この空間を切り口に言語化することで、自分らしさを表現できるのではないか?と思いました。
例えば、同じ映画の感想を言い合うときに上記の3つをそれぞれ言語化したら、全部同じ言葉で説明する人と出会うケースはほとんどないだろうと思う。
(仮にまったく同じ言葉を使ったとしたら、きっとその背景には近い経験があったと考えられる)
らしさを表現するうえで、この要素に分解することはすごいヒントになりそうだな、と思いました。
ただ、現代では「多数派が正義」みたいな風潮のせいで
周りの人との差異を隠したがる癖がある。
なにを隠そう、僕がそうです。
というより、自分はマジョリティのなかのマジョリティだと信じて疑わなかったし、安全地帯にいたい(マジョリティ側にいたい)、みたいな感覚を社会生活をするうちに身につけてしまっています。
けど、僕はこれからnote書くうえで、自分「らしい」ものを発信したいと考えています。
この環世界という概念から感じたことを反芻しながら言葉にしていきたいと思います。
◆知覚時間
なんとなくこの概念はイメージできる人もいるのではないかと思う。
そう、相対性理論に近い概念なのだ。
正しくは全く違うけど、生物種によって時間の感覚は異なる、というイメージである。
特に「一瞬」とはどのくらいの長さなのか、という事例が面白かった。
例えば、
人間の一瞬は18分の1秒 ※①
かたつむりの一瞬は4分の1秒
(※①ユクスキュルの時代、フィルム映画のコマ送りは18分の1秒毎だったらしく、これより遅くなると暗明のちらつきを感じるようになるのだとか)
人間が生きてる時間感覚と、その他の生物種が生きている時間感覚は異なる。
言い換えると、同じ人間でも物事の重要度や衝撃度で感じる「一瞬の長さ」は変わるだろう、と推測される。
よく小説の表現としてほんの一瞬の出来事でも、「永遠のように感じた」というセリフはよく目にする。
これは、その人にとってはその出来事が非常に重要度が高いことを暗に表しているが、これは小説のなかだけでの話ではなく、日常至るところでそういったことが起きているということだ。
僕にとっての時間も他者と比較してみると、そこにも差異があって当たり前なのである。
そういった自分の身体感覚を感じて言語化していきたい。
◆なじみの道
(この言葉の響き好み)
「らしさ」を紐解くヒントにした部分は、
馴染みのあるとか、安心感があるとか、エモいとか
そう感じるのは、その人のそれまでの経験から感じられることなのだと解釈しました。
本書から例となるフレーズを引用します。
要は、
なので、懐かしい、と感じるのはその人の経験(歴史)が影響するということです。
余談ですが、言葉から連想されるイメージでも同じことが言えるかもしれません。
皆さんは「赤」と聞いて最初に思い浮かべるものはなんでしょうか?
リンゴ
口紅
鮮血
紅白帽
スポーツカー
すずちゅう
上げ続けたらキリがありませんが、これは言葉のなじみの道を無意識に歩んでいるのではないでしょうか。
これも今までの経験の中から、「赤」という言葉とより隣接した思い出が想起されるということだと思います。
人は誰1人として全く同じ歴史を辿っているひとはいないでしょう。
ずっと隣にいるパートナーとだって違うはずです。
そもそも自分のことを他者として眺めることができない時点で、他者と同じ視点では見ることもできないですよね。
少し視点が違うだけでも、見え方・感じ方は相当変わるはずです。
そしてこの概念を展開させると、その人の歴史によってその出来事に対する知覚や行動が創出されることになります。
「らしさ」とは、歴史が作り出すものなのかもしれないなぁ、と思わされました。
◆まとめ
ただただ自分がピンときたものを抜き出して、勝手に誤読しながら展開してみました。
簡単にこの本から「らしさ」を紐解くのに繋がったことをまとめてみます。
1,感覚を言語化する切り口
環世界の3つの空間と、知覚時間から繋がったこと
自分が感じたことを4つの軸で言い換えてみる
心の動きを捉える
どんな手触り感だったか
どう目に映ったか
どのくらいの時間に感じたか
この4つの切り口を用いることで、自分の感覚をより「らしく」表現できるのではないかと思った。
2,自分の感じたことに素直になる
これは環世界から広げた多様性、また「なじみの道」から導いたこと
自分と全く同じ経験(歴史)をしている人はこの世にはいないです。きっと。
なので目の前でなんらかの事象が生じたときに、他者と同じまったく同じ感想ではないはずですし、違って当たり前だと思います。
しかしそれは同時に、自分はマイノリティである、ということを心に刻む行為とも言い換えられるでしょう。
(マイノリティってなんだか聞く人によってはネガティブなイメージに聞こえるかもしれませんが、むしろ人間として普通の態度な気さえしてきました。)
「らしさ」とは他者となにかしらの差異があることで認識される。
当たり障りのないことは読んでいて気分を害することはないけど、誰かの心に刺さるということも少ないだろう。
僕は僕なりのらしさを表現するために文章を書いていきたい。
生物から見た世界には、まだまだ面白い事例や、ためになる概念があります。
(しかもページ数が少なく読みやすいので、時間がある休日であれば1日で読み切れます!)