恐怖のクリスマス
2009年9月、2週間ほど横浜で母を撮影した私は、シドニーに戻りました。ただ、初めて後ろ髪を引かれる思いでした。私が、何でもできた母のことを心配するなんて異常だなあ、と飛行機の中で思ったことを覚えています。
シドニーに戻ると、小学校5年生に進級したばかりの息子の世話や、映画学校での講師と多忙な日々が、待っていました。しかし、シドニーにいても、横浜で暮らす母の変調をいたるところで感じました。まず、シドニーからかける電話には、ほとんど出なくなったのです。また、あんなに頻繁に息子へ荷物を送ってきていたのが、パタリとやみました。時々入る妹からの情報によれば、母は、妹を家に上げず、自分の部屋の窓からしか話をしないというのです!
待ち焦がれるように息子と一緒に再度帰国したのが、12月13日。しかし、台所の日めくりは、12日のままでした。次に息子と背比べした母は、息子に追い抜かれたことを知ると「そっちの方が、大きいよ!」と吐き捨てるように感情を爆発させたのです。
息子は、息子なりに母の物忘れを心配したのでしょう。日めくりに何かしら書くようになりました。「日めくりをめくり忘れるな」「お茶を買うこと」などです。
そして、いよいよ問題の12月25日。息子は、日めくりに「クリスマス・ケーキを忘れないで」と書いていました。その晩、家族でケーキをワイワイ言いながら食べ終わり、子供たちは、ゲームをし、私は、2階でパソコンに向かって仕事をしていた時のことです。母が、真っ青になりながら日めくりを手に2階に上がって来ました。
「サキ君(息子)の字で、ケーキ忘れるなって書いてあるけど、どうしよう、買うの忘れちゃった!」
私は、母が、クリスマス・ケーキを食べたことを忘れたことは、それほど驚きませんでしたが、ケーキを買い忘れたと思い込んでいる母の恐怖の目を見た瞬間、私の気持ちは、決まりました。
横浜に帰って、母と一緒に暮らそう。
母の下から飛び立って、33年、オーストラリアに渡って29年の歳月が流れていました。
2011年12月
映画監督である娘・関口祐加が認知症の母との暮らしを赤裸々に綴った『毎アル』シリーズの公式アカウント。最新作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』2018年7月14日(土)より、ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開!