大人たちの「問い力」と「見守り力」があるからこそ起こる、学びの形。
【 子育てコラム No.9 】
東京から我が子に会いに来てくれる人がたくさんいて、とっても嬉しい最近。
来てくれる友人たちはこぞって、rokken-michi3とはっぴーの家に行きたいと言いいます。
” 類友 ”というやつだと思うのだけれど、私のFB投稿やコラムを見て、ピンと来ているようです。
昨日もまた友人が2人来てくれたので、一緒にはっぴーの家へ。
1階のリビングにて3人で話していると、とあることに気がつきました。
自分でやらずに、こどもたちに投げかけてみる。
「明日な、とてつもなく大きな台風がくるねん。えらいことになるで。はっぴーの家も防風対策をせなあかんねんけど、どうしよう?」
(関西弁、あってるかな....?!)
そんな問いに対して、こどもたちは紙とペンを持って来てなにやら書き始めました。
のぞいて見ると、「困ること」と題して、大きくて強い台風が来て起こったら困ることを書き出していたのです。
ある程度、こどもたちで相談して書き出すと、
「他にどんなことある?」
と大人にインタビューに来る。
わたしも聞かれたので、
「他になにがあるかな〜。懐中電灯があったら嬉しいな〜」と答えました。
こうしてたくさんの困りごとと必要なものがリストアップされていったのでした。
口出しせずに、その先の展開を見守る。
2Fで防風対策をしているよとオーナーから教えてもらい行って見ると....
こどもたちが真剣に何かを考えていました。
「おじいちゃん、おばあちゃんたちの様子がわかるように、ドアは開けておいたほうがいいんじゃない?」
「窓が割れたら大変だからカーテンを閉めよう!」
こちらは雨が入らないように新聞紙を貼り付けていました。
大人がやったほうが早くて、抜かりがないかもしれないけれど、
こうやって自分たちで考えて、やってみることのできるこどもたちの顔は、とっても凛々しくて、頼もしかったです。
他にも備蓄品の数を数えていたり。
メモを取る人、数える人、袋から出す人、レシートを見つけチェックする人。
自然と分担しながら、作業を進めていたのでした。
特別ではなくて、これが日常であるということ。
私が昨日気づいたことは、
・きっかけの問い出しがうまい
・発想の転換がうまい
・答えを教えようとせず、聴くことができる
・すぐに否定せず、まずはそのままを受け入れる
・こどもの力を信じて見守る
しかも、これが1人だけじゃなくて、
” 複数人 ” の大人がここにいる。
それこそが重要だと思うんです。
たとえ素晴らしいハード = 物的環境が整っていたとしても、
人的環境が整っていなければ学びはそこには生まれない。
このような人的環境をつくることこそが、大人ができることであり、学びの現場にもっとも必要なものではないかと感じています。
さらに、関西に移住して来てから思っていたことがあります。
それは、失敗を笑いに変える力ってすごい!ということ。
むしろネタができておいしい!とさえ思える関西の人たちの精神って、とても重要なことなのではないかと感じています。
大人たちがそうだから、こどもたちだって失敗が恥ずかしいことじゃなくて、笑い飛ばせる。
本当は失敗なんかなくて、失敗だって学び。
失敗こそが学び。
教育現場って、やっぱり園や学校だけじゃないなぁと思う日々。
どこに学びがあるかわからない。
他にもはっぴーではこんなことが起きています。
・こどもたちが自らお手伝いのルールをつくって実施
・こどもたちが自ら 迷子犬のチラシ300枚を配布し、無事に見つかる
私がこの街に惹かれた理由はいくつかありますが、
ここで育つ こどもたちを観察したい!
ここで暮らす 我が子の育ちが見たい!
ということも大きな理由。
何事も ”いい!” と直感のままに動いてしまう私ですが、こうしてコラムを書くことで言語化できていることが多いなぁと気づきました、今。(笑)
コラムを書く=自分と向き合う時間でもありますね〜
追伸:昨夜は、自然たちでいられる家族のようなみんなと一緒に、ドラえもんの誕生日会をしました!
というのは嘘で、ご近所仲良し家族のパパのお誕生日をお祝いしたのでした。
こういう日常にユーモアがあるのも暮らしが楽しい理由の1つです(笑)