47歳にもなって会社で泣く
こんにちは!西岡麻生です。
夫のモラハラから昼逃げして、
壁にぶち当たりながらも
自分が大きく変わることができた
経験を発信しています。
昼逃げしてから、実家に両親と
2世帯住宅で住んでいたのですが、
少し前に先祖代々住んでいた実家を売り、
引っ越しして子どもと3人で暮らし始めました。
タイムリミットがある中、
フルタイムで働きながら引っ越し先を探し、
実家を空にして、引っ越しをして、
子どもたちと3人の生活を整えるのが
大変すぎて病みそうでした(笑)
子どもたちが甘えられる大事な存在だった両親と離れて暮らすこと。
先祖代々住んでいた土地を手放すこと。
子どもたちと3人で
暮らしてくことへのプレッシャー。
タイムリミットまでに
引っ越し先を探すプレッシャー。
実家を空にするのって
こんなに大変だったんですね!!!
引っ越しに加えてカオスな実家を
空にすることがこんなに大変だと思わず、
みんな疲労困憊。。。
引っ越しした後も、出勤前に
実家に行ってゴミ袋26袋出して
会社に行く。
などなどやっていたら、
精神的にも肉体的にいっぱいいっぱいで
電車に乗っていたら自然に
涙が出てくるようになっていました。
そんな中、会社で私の大嫌いな細かなエクセルの表をやっと提出した!
と思ったらすっごい小さなことで何度も修正依頼がありまして。。。
それがどうというよりも、もう何かきっかけがあったら泣きます!という
精神状態だったのだと思います。
それで涙が止まらなくなり、
47歳にもなって、泣きながら「私はこんなことをするために生まれたんじゃないのに!」と言うという…(恥)
みんな優しいから慰めてくれたり、私がやるから!と言ってくださいましたが、もう恥ずかしすぎました。。。
それくらい、色々限界だったんですよね。。。
そこで私はやっぱり自分で決めて、自分で動いて、
自分で仕事を作り出していきたいと思い、会社を辞めました。
引っ越し後の生活と、仕事が辛そうだった私を見て
小学校6年生の娘に
「もっと自分の能力を生かす仕事をしなよ」
と言われたことも大きいです。
私がびっくりしていたら
「いつもママに言われていることじゃん」と言っていましたが
こどもって本当によく見ていますよね。
私がモラハラから脱出しようとした大きなきっかけがあった時
”自分自身が充実した人生を楽しく生きて、その背中を子どもに見せよう”
と決意して、それが自分の大事な軸になっているので、
今はたしてそれができているのかなと思ったことも仕事を辞めようと思った理由です。
モラハラを発信してどうするの?
そのキャッシュポイントは何ですか?
と言われたりしたこともあるけれど、
そんなこと知らん!
自分の中にある経験を出したいんだ!
表現したいんだ!
という気持ちが沸き上がってきて勇気を出して
発信することにしました。
まだ1記事しか発信していませんが、多くの反応をいただき
私のほうが勇気をいただいています(泣)
本当にありがとうございます。
引き続きお読みいただけたら、とてもうれしいです。