自由を夢見る少女の話


街が眠りについた頃。眠れない私は窓の外を見る。たまに通る車の音、忙しくしているのは信号機だけ、あとは何も動かない、静寂の街。
こんな街へ出たら私は主人公になれるかもしれない。そう、街が見てるのは私だけである。昼間の喧騒になんて飲み込まれやしない。静けさを切り裂くのは私なのである。私だけの舞台。
でもそんな勇気はどこにもなかった。私の身体には見えない鎖が絡みついていた。自由になりたくても自由を手に入れる勇気がないのである。自由とは難しい。自由とは二者択一なのである。
このまま外へ出たとしたら、私は繋がれた鎖から放たれる。でも守ってもらえる何かはない。好きな道を歩けるが断崖絶壁でない保証などどこにもない。
部屋から出なければ、安全は保証される。でも心躍るような出来事は起こらない。窓の外をみて憧れるしかない。窓は絵画も同然となる。
更に、自由の恐ろしいところは、どちらを選択しても自分の自由であるところだ。どちらの道に進んでも、後悔してしまえばそれは自分が選んだせいになる。自由というのは誰のせいでもないが故、全て自分のせいになる。だからこそ選択するのが私は怖いのだ。
何回あの信号機は点灯を繰り返しただろうか。私はこの信号機になりたい。人々にとっては一つの信号機であろうが、ある日突然消えたとしたら、それは大変なことである。信号機には自由はない。毎日同じ赤青黄の点灯を繰り返すだけ。でも、確かに必要とされている。
本当に信号機になれたら私は自由を追い求めるのだろうか。私はもしかして私を主張したいから自由になりたいのではないだろうか。いや、でも、違う。やはり私は自由を追い求めることになる。誰かに必要とされていても私が描いたものでなければ意味はないのだ。
嗚呼、自由とは本当に難解だ。考えるだけでも疲れてしまう。人は皆いつの時代も自由を求めていた。過去から見れば現在は自由かもしれない。だが、現在に生きる人も自由を求めている。自由には終わりがない。自由とは未知である。何故私や人々が自由を求め、自由に絶望したのか分かるような気がする。夜の街はまだ明けない。

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