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黄金比画家と醜悪1

私は画家だ。
美大を卒業し、今では絵を描いて食べていけるほどの生活は営んでいる。

大学での授業では常に主席であった。
人に絵を褒められたことなど幾度となくある。

一度絵を描けば、人溜りができ、
やれ、
どうしたらそんなに綺麗な比率で描けるのか、
どうやって勉強しているのか、
何を描いても上手くて良いよな、
などと余計なことをたくさん言われてきた。

それを綺麗に笑顔を作ってみせ、
「運がいいだけさ」
というのである。

この前、依頼をもらった、
どこだか分からないお偉いさんからも
美しい、完璧だ、などと言われた。

また決まって、
「ありがとうございます」
と目を細めて口角をあげていうのだ。

ちなみに、
私自身、自分の絵に対して一度も美しいなど思ったことはない。

いや、それは語弊があるかもしれないが、
簡単にいうと、美しすぎて吐き気がするのだ。

どこもかしこも、綺麗に比率の整った作品。
本当に見る人がみれば狂ったほどに整いすぎた絵なのだ。

私には分かってしまうのだ。
どこにどう描けば美しい絵が完成するか。

俗にいう、黄金比が。

この黄金比とやらは私の生活をどうも狂わせた。
かのレオナルドダヴィンチには申し訳ないが、
形としてこれを残してしまってくれたがために、
私はこの病気に名がついて苦しいのだ。

黄金比は絵の世界だけでは飽きたらず、私の生活にまでも蔓延っている。

簡単な例を言うと、笑顔の作り方だ。
どう口角をあげ、どう目を閉じ、どのように首を傾げれば美しいのか。
本能を持って分かってしまうのだ。

そのため、巷で笑い声を上げる女子高生なんかを見ても、
醜い笑い方だ、と思う同時に、
私も何も考えることなく笑いたいものだ、とも思う。

本当は黄金比など好きでもなんでもない。
だが、見えて感じてしまう以上、
その規則に従わないと気持ちが悪くて仕方ないのだ。

それが私というものを構成する全てだ。
私などなんの価値もなく、ただの黄金比生成人形である。

皮肉なことに、世の中というのは自分以外には鈍感なもので、
それに気付く様子は全くない。

私は出会いたい。
全く黄金比と異なる異質に。

中途半端に崩した黄金比ではない、
全くの異端、廃退、混沌。

しかし、とうとう大学ではそんな大物に会うことはできず、
つまらない画家の生活を続けるばかりだ。

例い、人生の黄金比に外れようがそれで構わぬ。
心から満ち溢れるような醜悪に溺れ落ち、絶頂したいのだ。

醜悪への憧れと、手放せぬ美麗。
私の知らないところで運命の歯車は回ろうとしていた。

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