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罪悪感って痛いんだ?!を体感した朝

この頃は、台風が近づいてくると体感でわかるようになりました。

背中の上の方が、ギュって感じになります。

台風って地球の自浄作用だと思うのですが、

同じことが人ひとりの中でも起こってるいるのかも。

「怖いまますすもう☆」とnoteを書き始めていたところ、

人の目を気にする自分とか、認めてほしい自分とかがぐいぐい出てきてる。

その「人」って、その時々で対象が違っていても、「人の目を気にする自分」が

ベースに居続ければ、同じことを観測し続けるってことなんだなーと思った。

今朝はそれが無視できないくらいざわざわとしていて、これは日常生活に支障を、、

と思ったので、ちょっと瞑想した。

不快な体感に焦点をあててじっとしていると、子どもの頃に嫌だった場面が浮かんで、さらにじっとしていると「人の目や評価が気になる」の奥から罪悪感が出てきた。

罪悪感でてきたーと思ったので、罪悪感や自己否定のクリアリングを意図してまたじっとしていた。するとスムーズに、体の感覚として痛かったり息ができなくてそれはそれは苦しくなるというプロセスに移行した。数分も経たないうちに「抜けた」感じがして、その瞬間「よかった。」という声が聞こえた。気がした。

あとから思うと、あれは「罪悪感」という感覚を、「体感」に変換して解放したのだと思う。もしあれが体感として変換されず、無意識に罪悪感を持ち続けていたら、相当自分をいじめてるってことになるなー!

そんな事があった今日、はじめて「罪悪感を感じている自分にオッケーを出す」がわかった!みんなが言ってたのってこれかー!涙    って。

癒されたと思った。猫に癒されるとかマッサージに行って癒されるとかと違う種類のやつ。なんて呼ぶのだろう?手放すとか、そこから自由になるとか、かな。

手放せば、自然と流れていくのかも。淀まない川みたいに。



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Mai Kuroiwa
わたしが書くのはごく個人的なことですが、わたしひとりをとっても、いろんな側面があります。ほかの誰かと、どこかの側面で共鳴することがあるかもしれません。みんなすこしずつ重なりあっているのかもしれませんね。