それでいいんです教
最近また改めてつくづく思う。
自分に対して、「もっともっと」「まだまだ」「こんなんじゃ、、」
というダメ出しワードが心の中で気づくと飛び交っている。
いや飛び交っているというほど、わかりやすくはない。
そうでなくて自分を大切に認めよう、承認しようと、ずっと思い続けているはずなのに、下の下の方で未だしぶとく居座っている、そんな感じだ。
これでは自分を受け入れる練習は永遠に続くのかと、気が遠くなりそうだ。
そんなことを思っていた矢先、先日こんなことがあった。
私はコーチ仲間にボヤいていた。
例えば私はNLPを学び、好きで今も学び続けているけれども、どこかその体系だったものに違和感というか、反発心のようなものがあると。
体系だっているから私たちが活用でき、まずはその枠の中、つまりテンプレートから始めることはよくわかっている。
でもその枠に入ることがどうも窮屈で、人ってそんな簡単なものじゃないって思ってしまうと。
コーチ仲間の彼が言う。
「その反発心ってとっても大切だと思いますよ。同じように反発心を感じてしまう人、例えばNLPってどうなの?って人にも寄り添えるんじゃないかな。これはこれでいいけど、別の方法だって選べるって言ってもあげられる。」
私はその言葉を聞いて涙が出そうになってしまった。
なぜ涙?
ボヤいていた私の中、奥底では
「私はせっかく学んでいることを素直に受け入れていない。
文句ばっかり言ってるんじゃない?
学んでいることは、まずはどうあれ素直に受け入れてやってみないと仕方ないでしょ!」
と内なる声が檄を飛ばしていたのだと思う。
それに対し、そんな自分を
「それでいいんですよ。それで大丈夫です。そんなあなたが大切なんです。」
と優しく許してもらったような気になったのだと思う。
考えてみると
「そうです。それでいいんです。大丈夫です。それがいいんです。」
この言葉がある所にこれまで私は救われてきている。
色んな承認の言葉があるけれど、振り返るとこのニュアンスがある所で私はガチガチに固まったものを緩めてもらったんだ。
今までなんとなく聞いて、なんか嬉しいとは感じていた。
自分でも使ってもいた。
そんな言葉が、急にこれまで以上に輝いてみえてきた。
なんて素敵ないい言葉なんだろう。
今の気持ちは
「それでいいんです教」でも作ってしまいたいくらい(笑)
そのくらいこの言葉の力を感じてしまった。
しばらくはこの言葉を自分にも周りの人にも投げていこう。
それでいいんです教を布教する会とでも銘打って
面白がってみるのもいいかもしれない。