ケニアの学校にマスクを寄贈し国営テレビに出た話
こんばんは。2021年1月1日から私はケニアに飛んだ。コロナ禍で行くなんて本当に心底非国民だと認識はしたが、ケニアに入国拒否されない限りは行くと決めていた。それは9月からクラウドファンディングをさせていただいた「Masks for Schools」プロジェクトの完了がするからだ。ケニアでは日本はコロナ危険国になっていないので、ケニアでの隔離は熱が無い限りないが、帰国後日本で14日間隔離をしないといけない。子どもは11月に移住してうちの親と九州にいるので、帰国後公共交通機関がその間使えないため、ケニア渡航の10日間+14日間は一人東京で隔離である。それを両親がいいよと後押ししてくれて色々無理を聞いてもらって行ったのだ。
福岡から成田に飛び、成田→ドーハ→ナイロビだ。
コロナ禍で色んな規定があり、ケニアは出発96時間前のPCR陰性証明書が要求される。年末なので、九州の病院は28日がPCRの最終受付だ。1月1日出発で96時間ギリギリのラインだがそれでとると検査結果が29日。エミレーツのHPに「証明書発行から96日」としっかり描いているので、29日の証明書発行だと余裕があると思いチェックインカウンターへ。
グランドスタッフさん「こちらの情報だと検体を採取してから96時間以内です」と言われ現地に連絡をとるから1時間待ってほしいと言われる。成田のPCR検査所で取得しなおした方が確実に渡れるかもと思い、行ってみたらやはり結果が出るのとチェックイン締め切りが間に合わない。。。
「もし行けなかったらそれはそういう運命なのか・・コロナ禍で無理していくなっていう思し召しだ」と納得させとりあえず待つことに。
グランドスタッフさんから電話があり「大丈夫です!」と1時間経たずして言われたのでチェックインができた。元旦から海外行く人なんてほとんどおらず、私の乗ったカタール便以外ほぼ欠航になっていて、空港は本当に閑散としていた。
ドーハで12時間トランジットがあって最初同じ便の日本人の方と一緒にお茶などしたが、その方はドイツ行きで3時間で先に行った。私がドーハで待っている間にドイツに着いたと連絡があった。6時間だけラウンジが使えたので、後半はラウンジで過ごした。
そこからようやくナイロビ便のゲートが確定した。ナイロビ行きも少ないがそこそこいた。深夜24時頃にナイロビ到着。しかもナイロビは現在夜の外出制限がある。本当にお迎えに来てもらえるのか最後まで心配していたし、PCRの96時間ギリギリの件ちゃんと通達されているのか不安だったし、長旅で熱が37.5度以上になってやしないかと心配したが、全部大丈夫だった。
空港の外に出たらチームメンバーのウェルドン君が待っていた。日本で見るときとなんかちょっとイメージ違うと思ったけど、今回は私が外国人なんだとあとで思った。
ウェルドン君の弟ともう一人の同僚チャールズ君が迎えに来てくれていて、車で宿についた。
続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?