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手を動かしては止まり、 また動かしては止まり、、 あまりにも止まるので挫けかけてたお仕立てが終わりました。 バンザイ…!!! おとといnoteを開いて久しぶりに書いてみて 表現したいけど パツパツに止まってた風船に穴があいたみたいで シュルシュルと楽になって。 わたしは表現者なのだな。 ほっとした日。
夢の中。 きもちーなーー! ってめちゃめちゃいい顔で笑ってた。 大切な人はずっと大切でいい。 君がたくさんあの顔で笑ってたらいいなって また願ってまたあったかくなる。 とっても幸せな朝。
久しぶりにnoteをひらく。 何か違う流れに乗る すぐ手前にいる予感。 うごうごしてる ざわざわしてる リハビリみたいになんとか生きている そういうのをためしに、書いておこうと思って。 小さなことから、ひとつひとつクローズさせる。 そういう日。 今日もがんばったね、 おやすみね。
お部屋にゆるい壁をね、つくったんです。 DのIのYで◎ 新しいお部屋に引越して、 寝てみて、 あ、この空間を仕切れたらもっと心地がいいなぁと思って、 ホームセンターでにらめっこする。 あ、ここもう少しこうなったら氣持ちいいな という感覚は、あらゆることの基本だと思うのです。 仕事でも人との関係でも暮らしでも、 氣持ちいい感じは大切にしていきたいし、 そのためにできることはスッとやっていきたい。
とっても不思議なのだけど、 我がなくなっていくほど 個がくっきりしていくし 目の前のことを丁寧にすればするほど 大きな視点でものごとを観られるようになるし 自分を大切にすればするほど 周りとも溶け合っていく どんどんひとつになっていくんだけど ますますはっきりもしていくし どんどんなくなっていくんだけど ますますあるとわかってくる ひとりごとでした☺️ #最近の感じ #書いてみた #おねむです😪
丁寧な暮らしは祈りなんだよ 5年前に美味しいご飯をいただきながら、 ふと、教えてもらったこの言葉がすごく憧れで。 ずっと大切な宝物みたいに大事に大事にしてきた。 最近ね、 わたしの暮らしを丁寧だね、豊かだね、って言ってもらえることがとても多くて。 私自身は、 家の中に嵐来たでしょみたいな日も多いから😂、 丁寧…?そう…?🤔と思っていたのだけど、 5年間、箱の奥にしまい込んでた宝物じゃなくて、 毎日毎瞬、ふれて、愛でて、感じて、育てられた宝物になってるのかなぁ
画家の友だちに、 気分のいいときのまいちゃんの頭の中、文字にして教えて〜! と言われて送った文がお気に入りなので載せてみる☺️ わたしの自己紹介です💗 ・・・ にじむ ひろがる まぁるい ぬくい きいろ みずいろ ぐりーん ぴんく 色がいろいろ 光って交じる わいて生まれる はじまり終わる つづく つづく どこまでもつづく めぐる つながる まぁるに還る
大切だと感じていたものが 大切ではなくなって 考えてすらなかったものが とてもとても大切になった 大きな変化は少しこわい けど 静かに深くわくわくしている
正直発信は苦手だ。 たぶんリアルでも、そんなに発信が多いタイプじゃない。 SNSだと余計にそう。 なんだけど。 なんかこう、リアルで感じているものをさ、 そのキラキラ感とか、みずみずしさとか、 生々しさとか、くだらないことも、 メディアの中でも、生きものでいられる私になりたいなぁって、思う。 にじむメディアを持ちたいな。
最近は自分の中の受け入れたくない側面ばかり見てる。 ほんとにいらない皮がむけてきたらさ、 私こんな冷たいこと思えたんだとか、 そんな非道徳なこと考えてんのかとか、 そういう、受け入れがたい自分もたくさん見ることになる。w 清濁あわせ持つっていうけど、 自分の中の濁を受け入れて受け入れて受け入れたら、 ほんとの清がもっともっと見えてくるんじゃないかと思ってる。
昔からあんまり「やりたいこと」がないタイプの子どもだった。 将来の夢とかも特になくて、 そのとき流行りのものや目の前にあるものを書いてて。 ○○になりたい!って明確に持っている人に、ずっと憧れてた。 自分を観察してきてわかったことがある。 わたしのやりたいことは、 歌手になりたいとか、音楽やりたいとか、先生になりたいとか、大企業に勤めたいとか、いくら稼ぎたいとか、 そういう、誰が見てもわかるようなやつじゃなくて、 もっと、ずっと小さくて地味だということ。
私にとっての豊かさは、 . 玄米を3日かけて炊けること . 思いつきでサラダにチーズがのせられること . 味噌をすってお味噌汁に加えられること . 食卓に箸おきを置けること . 季節のお野菜や果物の、瑞々しさを感じられること . 毎日菌や植物たちに声をかけられること . . ずっと忘れてた 簡単で大切なことを たくさんたくさん感じ直せている🌿 . は〜…幸せ☺️ . . . (人生初びわ記念日です) (おいしかった〜!)
私には人と付き合うときあるクセがあって、 その人の本質はこんなに美しいんだから、今は誤解されてても大丈夫、気づいてなくても大丈夫、いつかきっと気づくから大丈夫、、 って思って相手と付き合うことが信頼だと思ってた。 その人の本質を信じることだと。 でもさぁ、それって相手に変化を強いることで、 本質も何も、目の前の今、その人が、今の相手であって、 全然、大丈夫ってことも、信じるってこともわかってなかったなと思う。 なんならさ、 私の見る目は正しかったことを証明するために
いちばんこわいときというのは、 たぶん本当の才能を使うときだ 扉を開いてしまえば、 道が開くとわかっているとき。 進めば開けるとわかっているとき。 今そういうこわさの中にいる。 最後にこのこわさを感じたのは ひとりでディレクションを任されたときだったな あのときはホッとして、泣いたなぁ。 わたしはしばらく守られていたんだな
小さな頃から、「普通」というものが何なのか、ずっとずっとわからなかった。 普通、こうでしょ 普通、わかるでしょ 普通、こっちでしょ 普通に考えて、これが正しいでしょ 普通、こうあるべきでしょ こういう類のことが一切わからなくて、 だけどまぁ、怒られるのは面倒だから、 提示される普通に乗っかって生きている子どもだった。 (普通に育って普通に大学出て普通に就職するのが親孝行だとも思ってたし) そうこうして普通に就活して普通に受かって、 普通に社会人になったとき、この