退屈病とその正体
私は今、とあるスポーツのインストラクターのサポート役のようなことをしてる。
なぜなら私がそのスポーツを上手くなりたいから。
けど最近、「退屈病」が始まってきた。
というのも、このインストラクターの顧客が来たときは、私はそのサポートに徹底しなければならない。
その時間、自分がこのスポーツを楽しむことはできない。
自分が楽しみたい という気持ちがどんどん膨らんでいて、フラストレーションが貯まる。
けど、思えばこれは私のお決まりのパターン。
仕事に関しても、毎日毎日同じことの繰り返しでつまらない、と感じていた。
しかも考え出すとそれを意識してしまうので、フラストレーションが爆速で膨れ、いてもたってもいられない気持ちになってしまう。
退屈だ、と思って何かを投げ出したいと感じているときは、実のところ「他の何か」から逃げたいと思ってる、というのが私のパターンのような気がする。
今回の件で、私が本当のところ逃げたいと思っている対象を考えてみると、なんとなく、
「人を指導すること」のような気がする。
私がサポートしてるインストラクターは、顧客に説明しながら、「この説明は今後君にやってもらうから」とか、「先を読んでちゃっちゃと行動して」とか「みんなにテキパキと指示を出して」と言う。
けど私の自己イメージは ゆったり マイペース 声が小さい いきあたりばったり
という有り様なので
「テキパキ」とか「先を読んで」とか「ちゃっちゃと」という言葉に抵抗感しかない。
「そんな風になれるわけない」って心が叫んでる。
たぶん、私が退屈だからもうやめちゃおうかな って思った理由の本当のとこはコレ。
苦手なことに向き合いたくなくて逃げようとしてる。
さて、この見立てが正しいとして、じゃあ私はどうしようか。
①やめる
時には逃げることも重要って言いますやん。
〈メリット〉
時間やお金を無駄にすることがない。ストレスから解放される。
〈デメリット〉
いつもの自分のパターンに屈する形になる。当初目的としていた、自分の上達を見ないまま終わりになる。苦手を克服するチャンスを逃す。
②続ける
〈メリット〉
自分が目的としていた上達を実現できる。いつものパターンに屈しなかったという実績ができる。
〈デメリット〉
結果、嫌なことしかなかった場合に時間やお金が無駄になる。ストレスを感じる。
こうして書いてみて気づいたけど、「時間やお金が無駄になる」とか「ストレスを感じる」っていうのは、私の考え方の問題だ。
少し思い出してみる。
これもヴィパッサナー瞑想時に聞いた講義の内容だけど、何かの事象が起こったとして、それにより負の感情(例えば 嫌悪、怒り、悲しみ)が沸いたとき、それはその事象ではなく自分が生み出している。
たとえば、罵詈雑言を浴びせられたとして、それにより怒る人と、怒らない人がいる。
他のどんな事象も同じで、それが起きて心乱れる人がいる一方で、凪のように穏やかな心を保てる人もいる。
これを思い出してみると、私が「テキパキやれ」と言われて、嫌悪や焦りを感じ、結果ストレスになったのは、私の問題だ。
「そんなこと言われたって、できるわけないじゃん」と(たぶん無意識に)思ったのも単なる私の考え。ちゃんと向き合ってやってみればできるかもしれない。
そういえば私は、自分の自己イメージから外れるものは できるわけない といつも避けてきた。小学生くらいからずっと。
できるわけないと思ってるのだから、そりゃあできるわけない。
自分が心で信じていることが現実になる というのはよく聞く話だと思うけど、本当にそうだと思う。例えばお金持ちになりたい、と思っていてそうなっていないとしたら、本心では「自分はお金持ちになれない」とかそういう無意識の思い込みがある。私の場合、子どもの頃に親が「ああいう金持ちは〜」とか「お母さんが苦労して稼いだお金」とかそういうフレーズをよく聞いてきて、なんとなく親の持っているお金持ちへの負のイメージを引き継いだ。そうしてお金持ちに「楽してお金を得るずるい人」というような思い込みを持っていると思う(無意識のことなので"なんとなくそう思う"程度だけど)。
今回の私でいえば「自分はマイペースで、人にテキパキと指示するようなキャラじゃない」というような思い込み。
「キャラじゃない」って言っても、その「キャラ」は幼い頃に周囲からそう言われていたというだけのもの。人がなんとなく発した自分への印象が現実になっていて、今になってもずっと自分に根を張ってるなんてある意味怖い。
幼い頃に「マイペースだね」(親と親戚から)とか、「頭のネジが何本も抜けてるんじゃないの」(姉から)などと言われたのを覚えている。
「時間やお金が無駄になる」とか「ストレスを感じる」というのも思い込みだ。
時間やお金が無駄にならないように、日々の目の前で起こることを自分の勉強に活かすことだってできるはず。
ストレスを感じると思ったのは、無理矢理自分に合わないことをさせられてる と捉えていたからだけど、今まで苦手としていたことを克服する機会をもらえている、そのために指導してもらっている、と捉えればストレスとは感じない。むしろありがたい。
人間は何かから逃げるためには様々な言い訳を生み出す、そして身体の不調や外傷となって出ることもよくある とある人が言っていた。
私の今回のことを考えても確かにそう。退屈で仕方ないと思っていたのもそうだし、指導してくれる人の言い方が悪い、とかこの場所が暑すぎて体に合わない、と思ったり。この数日は、実際に頭がクラクラしたり、身体がだるくなったりもしていた。
ある人が言っていた「外傷」の例は、例えば誰かが、「今日はどうしてもあの人に会いたくない」と強く思うと、会う前の道中で階段を踏み外して大怪我をするようなことがあるということ。身に覚えのある人も多いのではないだろうか。人間て不思議。
さて、私に思い込みがあることがわかった。私が今にもここから逃げ出したいと思っているのは思い込みのせい。
だから、私にできることは、起こる退屈感や嫌悪感、体の不調などを思い込みによるものだと自覚した上で、たんたんと、毎日を実りのあるものになるように過ごすこと。
そして、「これは自分の成長の機会だ」「思ったことをきちんと口にしてくれる良い指導者に恵まれた」と、良い思い込みを取り入れる。そうすればその信じたとおりの現実になる。
思い込みを手放すには、①思い込みを自覚することが何より重要で、②「なぜ自分がそのような思い込みを持つようになったか」を思い出すのもよい とどこかで読んだ。②に関しては、人間の思い込みは10才くらいまでに出来上がるから、その幼い頃の記憶を探るといいらしい。
そしてそれが「思い込み」だと腑に落ちれば、その思い込みは自然と消えていく。
自己イメージを変えるには「アファメーション」が良いと前に何かで読んだ。「自分はテキパキ行動できている」というように、そうなりたいと思っていることを、もう既にそうなっている体で、鏡に向かって言う。
「私はお金持ちだ」とか「私は人との会話が楽しい」とか、人によって何でもあり。
そして夜寝る前と朝起きたときに、「そうなりたい」と思っている自分の姿を鮮明に想像するのもとても効果的だとある人が言ってた。周りにどんな人がいて、その人たちに自分がどんな風に接しているか、周りはどんな反応をしているか、などをなるべくリアルに、「そうであったらいい」という状況を想像する。
スポーツマンがイメージトレーニングを大切にしているのも同じ原理だと思う。イメージを繰り返し繰り返し、潜在意識にまで到達させられるくらいすり込めば、イメージどおりのことが現実に起こるから。
私が前に仕事を「退屈」だと思っていたときはどんな思い込みがあっただろう。
「この仕事は自分に合わない」とか「毎日同じことの繰り返しだ」とか「この職場で私はあまり必要とされていない」とか。
思えば、自分に合うか合わないか判断できるほど精一杯やりきっていなかった。毎日同じことの繰り返しにならないように、楽しくする工夫もできただろうけどしていなかった。必要とされてない、と感じたのは私の主観で、他の人に言われたわけでもなくただの妄想だった。
自尊心が高いこともあって、「精一杯やってもできなかったら格好悪いから、初めから精一杯やらない」と、何事においてもがむしゃらに頑張ることを避けてきた人生だったと思う。
「逃げることも時には大切」というのは、偏った思い込みを持つことなく、精一杯その場で花を咲かそうと頑張って、それでもダメだった人が選べる選択肢だ。
私みたいな人生に逃げ癖のある人は、息を吸うようにあらゆる理由を作り出しては逃げようとする。私はつい最近まで自分に逃げ癖があるという自覚もなかった。
まずはそのことを自覚して、悪い思い込みを手放し、縁あって与えられた場所で精一杯できることをする。
そう、きっとできることをすればそれでいいんだ。自分がしたことはいつも誰かに非難されるような気がしていたけど、それも私の思い込み。
できる限り精一杯やれば、誰も非難したりしない。
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