「外人」になった日の話
Ciao!
今日は私と友人(日本人)が、寮のBBQで「外人」として扱われた日のお話です。
論文やニュースで読んでわかったつもりになってしまっていた、
「マイノリティ」の立場に置かれたとき、あなたはどう感じるでしょうか。
私は実際に「外人」=外の人、他者として扱われ、
ちょっと悲しい気持ちになり、同時に好奇心が湧きました(研究テーマとして)。
そして今日のお話を読む上で、これだけは注意してほしいという点があって、
「主語を大きく読み取らないでほしい」
ということです。私自身常にこの考えは意識しているつもりですが、結構大事なことだと思うので最初に言っておきたいです。
この話が全ての日本人に、留学生に、イタリア人に当てはまるわけではありません。そういう人がいた、という私の感想です。
絶対に主語を大きくしないで読んでくださいね🌟
今回のお話も案の定長くなったのですが、ぜひお付き合いください。
こちらに来たことで初めて感じた感覚で、感情でした。
日本人は英語が話せない
10月頭の日曜日、寮のテラスでBBQが開催され、約40人の寮生が参加しました。
私の寮は基本的に留学生ばかりで、トリノ大学かトリノ工科大学の学生が多く住んでいます。私は特に共有スペースを使うことなく生活できることもあって、
寮には知り合いがほとんどいなかったので、
「友達作る!」「英語話す!」
みたいなノリで友人と参加しました。
テラスに向かうとトルコ人の友人がいて、合流し3人で机を囲んでいました。
そこに続々と参加者が現れ、
"Nice to meet you, I'm 〇〇. What's your name?"
と握手が始まり、私たちも無事に挨拶を交わしました。
シンガポールにベルギー、オランダ、ノルウェーなどなど様々な国の人が
流暢な英語で言葉を交わし始めました。
ここまでは良かったのですが……
そのまま始まった、出身や専攻についての会話が進む中で、違和感が。
「目が合わない」「話を振られない」
のです。嘘だろ?ってくらい話を振られない。
私と友人(🇯🇵)はその場にいるのにまるで存在していないかのようでした。
ですが、話に自ら飛び込みまくっていたわけでもないですし、
むしろ 『我々内向的すぎか……?』 と反省していました。
一通り全員が話し終えた頃、
"Where are you from?"
”We are from Japan."
"Oh, Japan."
たったこれだけの会話がなされました。
なんやねんこれ。おまけみたいな、一応ここにも話振っとくか、みたいな。
この場はシンガポール出身の男性が仕切っていたのですが、
取ってつけたような質問に興味のなさそうな返答。
Japanと聞いた後、そのまま他の会話に移っていきました。
この辺りでなんとなく、違和感は間違いではないのでは、と思いました。
その後も会話が進む中、私たちには目も暮れず。
途中途中友人(🇹🇷)と英語で会話をしていたのですが、
シンガポール人の彼から急に
"You are speaking English very well."
"Japanese people cannot speak English though."
と言われました。
ここで、
「日本人だから英語ができない最初から決めつけられていたこと」
「対等に英語が話せないのなら、会話に入れる必要がないと判断されていたこと」
が感じ取れました。彼がわかりやすかっただけで、他の人も同じだったのでしょう。
実際トルコ人の友人は、1対1で話をしたことで仲良くなれました。
話す前から決めつけられて、私たちは排斥されていたことを感じました。
今まで、日本に来ている留学生や、観光客が日本での経験から、
『日本人は英語を話せないよね。』
と話すことは多くありましたが、全く違う土地でそのような発言をされるとは
思ってもみなかったので驚きました。
それだけ英語が話せないイメージがあるんだ、だから無意識的に避けられてしまうのか?と思いました。もちろん故意の人もいるかもしれませんが。
こんな風にわかりやすく、でも直接的すぎず、排除されるとは思ってもおらず、
本当に衝撃的でした。
バスケ事件
しれっと存在を消された後も私と友人とどうやったら仲良くなれるか考えていました(今思うと超健気でかわいい)
寮のテラスにはバスケコートがあり、そこで3人の男の子がバスケをしていました。私たちは、彼らと仲良くなれるかも!と勇気を出してコートに向かったのですが…
私たちがコートに入ると、
彼らは何事もなかったかのようにコートを後にしました。
なんで?とは思いつつ、2人でバスケを楽しみ、少し疲れたのでコートを後にすることに。
すると、入れ替わるようにまた数人の男の子たちはコートに入っていきました。
彼らが私たちとプレーしなかったのは、私たちが「女」だったからかもしれません。でも、コートですれ違ったとき、声をかけてもらえませんでした。手加減できないから終わったら声かけてよ、とか。Ciao!だけでも良かったのに。
こちらだって相手を追い出したかったわけでもなかったのに。悲しかったです。
繰り返しますが、もちろん彼らの真意は分かりません。
私たちがアジアンだから、日本人だから、ではなかった可能性だって非常に高いです。でも、私たちにとっては、ただただ悲しかった、それだけです。
マイノリティとは
今回の一件を受けて、私たちは2人で真剣に話しました。
「あの言動の理由は?根底には何があったと思う?」
「ヨーロッパとアジアの関係はどうだと思う?彼らはこちらを下に見ている?」
「ヨーロッパで英語が話せるかどうかってどのくらい重要なんだろう」
「そもそも英語力が問題なのか、人種なのか、性別なのか」
自分たちの持つ知識をフル動員して、意見交換をしました。
そして、2人の中で何がそんなに衝撃だったのか、私たちなりの終着点を見つけました。それは、
・同じ「マイノリティ」だと思っていた留学生に排他的な態度を取られたこと
・逆に「マジョリティ」であるイタリア人の方がはるかに優しいこと
でした。
マジョリティであるイタリア人にとって、私たち留学生は「外国人」です。彼らに街や大学でジロジロ見られたり、差別的に扱われるのは、いわゆるマジョリティとマイノリティの構図として想像していました。イタリア人はイタリア人同士のコミュニティがあるからこちらに好意を向ける必要がなく、イタリア人の友達を作るのは難しいだろうと思っていました。実際今仲良くしている友人はイタリア人だらけで、その背景にも新しい気づきがあったのでそれはまた今度。
対して、異国の地に学びにきているマイノリティ同士、留学生は仲間だから仲良くなりやすいものだと思っていました。ですが、その留学生たちに排除されたことで、マジョリティであるイタリア人に差別されるよりもより衝撃が大きかったのだろう、という結論に至りました。
私は日本でヨーロッパについて様々な観点から学んできました。個人的にジェンダー・性的マイノリティ問題に興味を持って勉強していますが、移民・難民問題にも関心があったため、「マイノリティ」というワードは自分の中でキーワードとして学んできたつもりです。
そんな私は今回が人生で初めてのイタリアどころか、人生で初めてのヨーロッパです。学んできたからこそ、正直、「差別的発言・行動」は覚悟をしてきました。その分、この1ヶ月弱、街中でたくさんの人に助けてもらったこと、差別を受けなかったことでいい意味での拍子抜けをしていたところがありました。
街中でも、大学でも、アジア人の人口は非常に少ないのがトリノという街です。良くも悪くも日本人からすると、「自分たちは浮いている」という感覚が強いのですが、イタリア人からはそのような「視線」を感じることはありません。
マジョリティである彼らからの視線に不快感を覚えたことがないんですよね…多分良くも悪くもみんな他人に興味がないのではないかと思います。
個人的にはその感じが非常に生きやすくもあります。
むしろ、ヨーロッパの他の国から来ている留学生からの視線の方が痛い。
寮内でも"Ciao"と挨拶をしてくれます、エレベーターは開けて待っていてくれます、お先にどうぞと促してくれます。ですが、それ以上の会話を私には求めません。
無言の「これ以上踏み込むな」のオーラを感じるのです。
ま、あくまで私の寮の学生の話で、大学のイタリア語の授業では仲良くしてくれるヨーロッパからの学生がたくさんいます。
再度になりますが、絶対に主語を大きくして考えては欲しくないです!
私はこういう経験をしてまた自分の見聞が広がったなあ、と。そんな感じです(^^)
実体験があるからこそ、またもう一度「マイノリティ」についてちゃんと考えてみたいと思えた、そんな一晩でした🌙
それでは長文お付き合いいただきありがとうございました!!
Ciaociao💖