一人前ってなんだ、の話
今日もお読みいただきありがとうございます。
フォルケ学園の眞山です。
(子ども向けの)教育の役目は、
社会にちゃんとした大人を輩出することである
…という大まかな方向性に
異論を唱える人はほとんどいないでしょう。
その「ちゃんとした大人」の定義ってなんだろう、
という話を今日はしてみたいと思います。
何度かこのnoteで書いていますが、
私は子ども向け教育をやりつつ、企業様の依頼を受けて
人材育成やコーチングと言った仕事をしています。
若手の方々に一皮むけてもらうための研修をやるとき、
比較的よく使う質問が「一人前ってどんな人だと思いますか」です。
若手の人からの答えはおおむねこんなものです。
・ミスをしない
・他人に助けを借りないで、自分の割り当てられた仕事を完結できる
・人に迷惑をかけない、叱られない
若手である以上、仕方がないことですが、一人前というのは未来の姿なので、こんな数式で一人前を定義しようとしていることが、結構多いです。
現状 + 弱点や課題の克服 = 一人前
ぱっと見、向上心を感じますよね。だからそう言う姿勢を否定するつもりは全くないのですが、欠点は「弱点や課題は、多分一生完全消化されることは無く、むしろ新たな課題が次々と現れてきてしまう」という点です。
一生終わらない「一人前への旅」って、いかにも大変そう。これでは燃え尽き症候群がそこここで発生するのも、致し方ないところです。
そこで、私が同時に提唱するのがこの図式です。
聖人君子 ー 人間だもの = 一人前
人間だからある程度避けられないミス、誰にでもあるはずの欠点や苦手領域を持っている状態でも「一人前と呼びうる」ということを認識してもらうことは非常に大事です。
職場で尊敬する人のことを想像してみてください。たぶんその人は「一人前」と呼ぶにふさわしい、いやむしろ一人前なんていう言い方は失礼にあたるような人だろうと思います。では果たして、その人には本当に欠点や課題など一つも見当たらないのでしょうか?そんなことないでしょう。
この記事の冒頭のおっさんも、聖人君子には見えないでしょう?でもいい年してるから、おそらく一人前だとは思います。
さて、ちょっと余談のようになりますが、私が最近オンラインの大学院に留学することを決めたということは別記事で書きましたが、6月からの学期スタートに向けて、英語の勉強を再開しようと思い、英語日記も付け始めました。
…ネイティブからしたら、ひどい出来だと思いますよ。いや、もしかしたら今の僕の教え子が高校3年生くらいになって僕の日記みたら、「俺はこんな奴に勉強教わってたんかい」とドン引きするかもしれません。
でも、それでいいわけです。そう思って、マガジンのタイトルも敢えて「僕の英語日記を添削してください」と教えを乞うスタイルにしています。
話がそれましたが、ともあれ
未完成の人どうしが生きているから、支えあうのだ。
そう言う気付きを子どものうちに終えてから、社会に出してあげたいものだと、若手社員のコーチングをしていつも思うのであります。