何が「できない」とかっこいいか。

大学時代はバンドサークルに入って、フュージョンをはじめとしたマニアックな音楽をしこたま4年間、授業を切りまくってやっていた。入部したてのころ、自分と同じC年で、隣の隣くらいの間柄にあったビッグバンドジャズサークルにスーパーなC年が入ったという噂が回ってきたことがあった(ちなみに音楽サークルでは1年生のことを「C年」ということが多く、これはC=ド=音階の最初の音って理屈らしいです。2年生は「D年」、卒業4年経ったらで「8年生相当=ハイC年」とかごくまれに言います。ちなみに発音は「ツェー年」。ドイツ語読みです)。ライトミュージックソサエティっていう歴史のあるビッグバンドで、レギュラー制度を持つシビアな団体だったんですが、そのレギュラーに一撃で入ったとのこと。これはすごいだの、スーパーC年が来ただの、同じC年としてはサークルは違えど、そんなに騒がれると気になるやら、嫉妬の炎を完全に一方的にたぎらせるやら、何しろ気になってきたわけです。

で、いろいろ尾ひれはひれが付いたものも含めて話が流れてきた中で、「彼は帰国子女で、長らく海外にいた」という情報が。なんだそのずるい設定はと思ったよね。海外育ちのアルトサックス吹きが由緒正しいビッグバンドにC年でレギュラー登用。できすぎている。で、さらにそこに、「海外が長かったためか、あまり漢字が書けないらしい」という情報をおっかけで入ってきた。

人は不思議なもので、すごいか、もしくはすごそうな人の存在を認識するうえで、「欠損が逆に天才性を強める」という受け止め方をしてしまうところがあるように思う。アインシュタインは超ロングスリーパーだとか、イーロンマスクは次から次へと発想が止まらないから単純作業をじっとできず服を自分で着替えることができないとか、そういうエピソードってその人のすごさにさらに「タダモノではない」感をプラスオンしてるじゃないですか。それが適用されて、「漢字ができないほど海外にいて、漢字ができなくても問題ないくらいサックスですべて表現できて…」みたいに、長所の形容詞として、脳内で解釈されたんですわ。なんてったって、「雨」という字の点々を3つずつ打つらしいっていうんだから、タダモノじゃない。意味通じるし。ちょっと大雨気味だなあくらいのズレはあるけど。何よりちょっと愛嬌のある間違え方でそこも含めてずるい。まあ、尾ひれはひれついてると思うけども。

そのあとしばらく、「何ができなかったら、かっこよく見えるか」っていう話でサークルの中で盛り上がった。「字が書けない」はひとつあるとして、「服装がいつも汚い」「物覚えが悪い」「食べ物の好き嫌いが異常なまでに激しい」くらいのマイルドなものから始まって、「練習中に寝落ちする」「冷たい飲み物でおなかを下しがち」「ウォシュレットは欠かせない」「虚言癖」などの普通に迷惑かけそうなやつまで、いろいろ出てきて。で、冷静な奴がボソッと、「結局、サックスがくそうまいからかっこいいってだけじゃないか」と、この盛り上がりを台無しにする正論を投下し、「そうだな…」とみんな自主練に戻った昼下がりでした。要するに「偏ることをいとわずにひとつのものを深めた人がかっこいい」と、今ならシンプルに言語化できるけどさ。中二病だったんだよきっと。自分も、自分の欠点・欠損が「逆にかっこいい」に変換されるくらい、イケてるポイントを育てていきたいと、ハイF年になった今も思うなあという、毒にも薬にもならない記事でした。

ネタにしてごめんね、U原くんw

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吉田将英 / 関係性をデザインする
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