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生きるとは自己表現なのか①

みなさん、こんばんは。
今宵はどんなお話をいたしましょうか?

Mahouが感じた『不快感』を、
友人のスウェディッシュマッサージ秋山妙子女子に
いつものお茶会で(同じオフィスビルで休憩をご一緒します)愚痴りました。

プライベートな空間なので、ちょっと言葉強めに(笑)
Mahouの気持ちを吐露したら、もっと過激な反応が返ってきました(爆)

それもそのはず、秋山女史は「美大出身」(回り回ってマッサージが生業)。
Mahouよりも辛辣な感想が返ってきて、こちらが笑ってしまいました。

友人のアロマセラピスト和田女史が言う
「アートは自己表現だからね」というセリフよりも
1000倍語気強めの表現のため表記は自粛します。

ふむふむ、Mahouが感じた感情も、あながち間違っていなさそう。
Mahouも和田女史も秋山女史も、千葉県出身なので、長い間千葉に住んでいた
「田中一村」氏には親近感なんかも湧いてしまいます。
(千葉美術館に多くの作品が展示されています)

昨夜も、田中一村氏の話を友人和田としていました。
「彼は幸せだったのだろうか?」と。

Mahouは『彼はそれなりに幸せだったのではないだろうか?』と
希望を込めて言いました。

生活費も困るくらいの極貧生活の中で、絵を描くことをやめようと思ったら
いつでもやめることができたと思います。

それでも、彼はやめなかった。

人生は摩訶不思議なもので、どうしてもやめたくないと本人が望んでも
やめるしかない状況に陥ったり、

今までずっと続けてきたものを、ある瞬間突然やめようと思ってやめてしまったり、

人生は、本人が望もう望まないが、環境がどうであろうが、
結果が変わるタイミングが多々あります。

いくつもの枝分かれした人生の岐路をくぐり抜け、
最後まで絵を描き続けられたことは、『運命』だったのだろうし、
無意識とはいえ、田中一村氏はその道を選び続けたのだろうから、
きっと幸せだったのだろう、と、話を結びました。

展示会を見てから4日間も、悶々と考え続けています。

人は、自分では理解できないものを『恐怖』として捉え
その恐怖感を取り除くためにも、『理解』しようとするそうです。
理解することで、『敵ではない』もしくは『対処法がわかる』と安心をしたいからだそうです。

極端に『敵』だとは流石に思いませんが(笑)
Mahouの場合は、ある程度納得するまで考え続けて、
どうしても模範解答が自分の心で落とし込めないと悟った瞬間に、
ようやく『自分には理解できないことだ』として手放せます。

Mahouも和田女史も秋山女史も、若干生きるのが下手で(涙)
自分の得意分野を活かして、それぞれの道を生業としています。

4日間考え抜いた先に出た言葉が
『生きると言うこと自体が、自己表現になっている』と言うものでした。

この言葉が出てきて、ふと思い出したことがあります。
続きます。

タロットMahou

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