ノートや手帳に書くことがない、って言う人がいるけど、そんなこたぁない。 ちゃんとした映えな文章を書こうとすると大変だけど、へったくそな何言ってるかわかんない言葉を受け止めてくれる最強の執事だとしたら? ノートに打ち明けるのは、勝手に人に打ち明けてその解釈にガタガタ文句つけるよりよっぽど賢く気が利いていると思う。
大きな悲しいことがあると 周りには 尋ねてくる人 避ける人 あと 周りに響かんばかりの気にかけてるアピールをする人 が出てくる。 それまで交流なかった人に葬儀の場で抱きしめられた。そこから一切関わりがない。 昔とても中の悪かった人が職場にまで尋ねてきて、大号泣して職場のみんなに話しかけていった。なにも事前の連絡はなかった。この人もそこから一切関わりがない。 なんだこの人らは。 私はこの人を避ける人ではない、という社会的アピールに巻き込まれたと思っている。 そしてこ
たいして交流もなく 相手のことを知りもしないのに あなたが気にいると思って と、何かを勧めるのは 相手を軽んじている。 あなたが気にいると思って なんて声をかけられる相手って 相当の間柄のはずだ。
自分に向き合う時間を持っていれば、上記のセリフの胡散臭さに気づくはず。 あと、『降りてきた』も、読んだら逃げろワード。
役目に徹した言動ができる人は気持ちよい。
人の気持ちが分かると思うこと自体、人の気持ちが分かってないことが分かってないということ。
人の気持ちがよめすぎて辛いってひとって、自分のこだわりを強く見るだけで、実際の「ひとのきもち」がわかっているとは思えない。
人からの扱いが苦痛で 関わりをさけているし いつかそんな場が 現れることを 期待しているわけではない。 アグレッシブに 動きはしないけど その時がきたら探す。
と イラッとする 貧相な言葉をかけられた と感じた時 あー嫌だ嫌だ といったあと 自分の何が そこに反応するのかと 顧みる。 ちゃんとむかついたまま。
心の施術者 それが医者であれ 民間の何者かであれ そういったものに 苦しみを 救われたいと思ったとしても その人たちが結局 治してくれるわけじゃない 催眠療法といったって 投薬といったって 相性とか色んな要素があって 結果好転することもあるし さらに辛くなることもある。 改善率94パーセントとかうたったところで 施術を受けた人のその後を 追うわけでもないし 連絡してきた人の大半は ピッタリあった人だったんだろう それは。 と 改善しなかったひとの関係者は 思っ
自分で自分を繊細さんというひとの胡散臭さよ。 ひとは、自分の気になるところを凝視するけど ほかは全然抜けてたりして なのに 私ってすごく気にしてしまう ひとのきもちがわかっちゃう とか 言ってたりして 聞いてて うんざりする。 いや 全然?
こどもが 不登校になっても 精神疾患になっても いいおかあさんを つらぬいて そのこどもが おなじことをくりかえしても いい〇〇で ほんといや。 いい〇〇って ろくなもんじゃない。
あなたの苦しみを解決します、という売り込みが嫌い。
別のブログで 発信をしていましたが そうしていると 思いつきで アドバイスを しに来る人がいる。 反応はしないけれども 自分の話を聞いて欲しいだけの人が アドバイスの皮を被ってくるのは 今も昔も変わらないなと 思う。