下北沢は未知のまま
下北沢はなんとなくおしゃれな街だ。
行けば何かがあるような気がするし、雑貨屋やセレクトショップやカフェも魅力的。劇場や映画館もある。たくさんの商店街が入り組む中で、一本路地に入ると、おやこんなところに、と思うお店もあり、何度も訪れなければ覚えられない。十代の私には未知で、そこに目的はなくともなんとなく心ときめき、大人になったように感じられる街だった。下北沢に住んでいたその人を、私はよく知らなかった。
朝、雨の下北沢を歩きながらいつまでも黙っている私に、「青いね」とその人は言う。景色のことではないことくらいわかった。私は何も言えず、雨水が入り込んでグズグズになった自分の靴を見つめながら歩く。下北沢の地理も、その人が何を考えているのかもわからなかった。だから悔しくても悲しくても、駅までの道をついて行くしかなかった。自分がひどく子供じみていて惨めだった。
JR線の乗り換えで別れた後トイレに入り鏡を見ると、右のまぶたが腫れていた。一晩中起きていたからだと気づくと、メールを知らせるライトが点滅した。
『困らせてしまってごめんなさい。これからのあなたの躍進を応援しています。』
なぜこんなときだけ、敬語。普段は敬語じゃないくせに。涙がダボダボ流れる。
これから何度下北沢に行っても、きっと私はその人のことを到底理解させてもらえないだろう。雨水の染み込んだ靴をじっと見つめながら、早朝の駅のトイレでひとり泣いた。
下北沢は憧れの街。19歳の私が20歳の人に期待し過ぎていたと気づくのは、それからずっと後のことだ。