鈍くなる

22歳になって突然、なすがおいしいと思うようになった。なすの揚げびたしを食べたことがきっかけだが、それ以来なすの好感度が急上昇。困ったな、と思う。なすをおいしいと思うなんて、まるで大人だ。

人間の舌は年老いると劣化するという。子供の頃たくさん好き嫌いがあった人が、大人になって食べられるようになったりするのは、味覚が劣化してしまったかららしい。この理論でいくと、私の舌は確実に劣化してしまったのだ。

人間の感受性だって同じことが言える。
私は子供の頃、週末になると自転車を飛ばし最寄りの図書館へ通っていた。そこで朝から晩まで本をじっくり選び、読み耽り、閉館時間に厳選した15冊をカウンターに持っていき、借りて家へ戻り、また食べるように本を読んだ。何者かに追われるように本に没頭し、次の週末までに読み切ってまた15冊借りて帰るという生活を続けていた。他のクラスメイトが週末、友達と遊ぶだったり、家族と買い物に行くだったりする中で、私には他に予定などなく、図書館と自室を一週間ごとに往復する生活で日々をつないでいた。

モンゴメリー、シャーロック・ホームズ、エドガー・アラン・ポー、夏目漱石など様々な名作と呼ばれる作品を読み漁った。
最近になってユゴーの『レ・ミゼラブル』が映画化されたので、読み返してみたらとても良い話だった。しかし私は最初に読んだ小学生時、決してレ・ミゼラブルを素晴らしいとは思わなかった。レ・ミゼラブルだけでなく、読んだ本に関して何も覚えていないし、何の感想も持たなかった。何かに感動したり、おもしろいと思ったりすることなく、小学生の私はひたすらに無感情のまま、ただ読んでいた。人間は子供の頃のほうが感受性が鋭いのだと思う。私は年をとって感受性が鈍くなって初めて、レ・ミゼラブルに感動できたのだ。

先日流行のインフルエンザに罹患し、アルバイトのシフトに出られなくなったため代わりを探していると、「予定があるから代わってあげられないけど、お大事に」というようなメッセージが携帯電話の隅にぴょこんぴょこんと飛び出した。
さして普段から仲良くしているわけではない人からもこのようなメッセージが届く。ふとした瞬間の人間の善意を感じて、心が緩み、普段の自分の人間関係を蔑ろにしてきた様を反省する。 人間を信じてもいいと思う。 人をいたわる言葉にきっと嘘はない。友人に話すと、心までインフルエンザになったのかと笑われたが、そうじゃない。そうじゃなくて、きっと心も鈍くなったのだ。

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