橋を渡る
28歳の春、ランニングをはじめた。もともと運動経験に乏しく体を動かす習慣がないことを「よくないことだ」と自省していたのも、走り始めるきっかけとなった。これまでも一念発起してはジムに通ったり、プールに行ったり、ホットヨガを始めたりしていた。が、たいてい長続きしなかった。たいていのことが長続きしない性分なのだ。
けれど、このときのランニングは不思議と続いた。当時の世の中の閉塞感と自分の頭の中の混乱が、走るという行為とうまくマッチしたタイミングだったのだと思う。やればやるだけ、わかりやすく結果が出るのもよかった。新宿区の端っこに住んでいて、神田川沿いをランニングコースにしていた。最初のうち3kmで足が止まっていたのが、2週間、1か月、2か月と続けるうちに5kmになり、7kmになった。
川沿いだったので、コースの折り返しはいつも橋を渡る。それまで気にもとめていなかったが、世の中にはこんなに橋があるのかと感心するほど、一本の川にたくさんの橋が架っていた。調べてみると、神田川には140もの橋が架かっているらしい。どんなに素っ気ない橋でも、ひとつひとつに名前があるのは面白かった。中之橋、面影橋、曙橋、三島橋、高戸橋……。今日はあの橋まで走ろう、と靴の紐を締めた。
最長コースの折り返し地点は、神高橋という橋だった。その橋をめがけて進んでいると、高架の上で西武新宿線と山手線の電車が交差するのが見える。
上京して初めて住んだ西武新宿線は、私にとって始まりと暮らしの線だった。山手線は、たぶんその逆で、続きと労働の線だ。その2つが、窓からの光をテラテラと川面に写して交わるのを眺めた。
そのコースに慣れ始めた頃、大家さんの都合で住んでいた部屋を出なくてはならなくなり、新しい街に新しい部屋を決めた。新しい部屋とはすなわち、新しい人生だ。
この橋を渡れるのはあとどのくらいだろうか。
来月にはどこにいるのだろうか。
今、人生のどの位置にいるのだろうか。
走る。交差する2つの線に自分の人生の線を重ねて川面に浮かべ、橋を渡った。