ゆれる鬼子母神

都電鬼子母神駅の改札を出ると、どっと汗が噴き出した。夏ははじまったばかりで、三人のうちの一人はパナマ帽をかぶっていた。パナマ帽はつまり、夏のことだ。

右手をひさしにしてのらりくらり歩くと、すぐに見つけた中華そば屋。「冷やし中華」の旗がゆらめいていた。中に入り、冷やし中華を注文する。いかにも味が濃いとわかる黒い汁なのに、暑さのせいで味覚がいつもより鈍い。麺を食べ終えると、真っ黒のつゆにきゅうりとたまごの筋が浮かんでいた。どうして冷やし中華の最後は、こんなにみじめなんだろう。色とりどりで美しく盛られた姿を思い出し、ジンとする。誰かが空のコップを置いたのを合図に店を出た。

人波に乗って歩みを進める。朝までスコーンを作っていたので、三人とも眠かった。大きな鳥居にたどり着き、猫のいる駄菓子屋や移動式のカフェに心躍らせる。そういえば、あそこには水車もあった。

プラカップに入ったアイスコーヒーを飲み飲み、手作り雑貨を売る露店を見て回る。その日は市の日だった。これもいいね、あれもいいね、と言いながら、おそろいのバッジを買った。木でできたバッジだ。

七月の鬼子母神はもうもうと暑く、景色がすべてゆれていた。人も、旗も、露店も、バッジも、スコーンも。
ぬるい水をまわす水車も、水がじんわりつたうプラカップも、近づいても動揺しない猫も。

すべてがゆれる鬼子母神の中で、黒いつゆにうかぶ緑と黄色だけが、くっきりとしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?