サザンビーチカフェは曇りにて

茅ヶ崎の海岸沿いに、海外の別荘のような外観のカフェがある。
サザンビーチカフェは、私が初めて訪れた2010年当時から有名なカフェだった。

薄い潮のにおいと波の音。風がよく通る店内は広く、開放的な雰囲気がした。よく日焼けした店員はTシャツとデニムのラフな姿で、毛先の赤く縮れたポニーテールを揺らしている。
海側にとった大きな窓からはビーチと、そこを歩く人々が見えた。サーフィンボードを担ぐ上裸の若者や、キャミソール姿で自転車を漕ぐ女性、小さな犬の散歩をさせるアロハシャツのおじさんが見えた。おそらく多くは地元住民だろう。

19歳の夏。初めて行ったそのカフェに、私はひどく心を惹かれた。地元瀬戸内の海とは違う海。そこにいる人も、オープンで取り繕わない雰囲気も、開放的な空間も、何もかもが新鮮できらめいて見えた。

25歳の秋。冬が目前に迫っていたそのカフェは、夏の賑やかさが嘘のように静かだった。今にも雨が降りそうな曇天のなか、私はひとりそこにいた。空いていたので、ビーチが見えるカウンター席に腰掛けた。灰色の波が遠目に見えた。「混雑時は90分制となります」というプラスチックのカードが、カトラリーケースから覗く。

テーブルに置いた、鳥の柄が入った便箋を見る。数日前に職場近くの文具屋で買ったものだ。白い鳩のような鳥。

涙はいくらでも溢れた。同棲していた彼に別れを告げられ、私が新居に引っ越すまでの2週間ほど、同居を継続することになっていた。週末は、否が応でも顔を合わせる。ここ数ヶ月散々冷たい態度をとっていたくせに、「他に好きな人ができた」と告げた途端隠し事がなくなり気が楽になったのか、私の機嫌をうかがうようになった。もう彼氏ではない彼と、もう自分の家ではない部屋にいるのが辛かった。「この先に続く当たり前の未来」は、あっけなく「叶わぬ夢」になった。

シーズンオフのカフェで、暗い波を眺めながらペンを持つ。言葉にならない気持ちは、便箋の上に落ちて染みを作った。何度も内容を整理し、文章を書き直した。

日が落ちる頃になっていた。おかわりしたコーヒーは、すっかり冷めていた。「自分の家ではなくなった部屋」に帰らなくてはならない。白い鳩を折り畳み、伝票を持って立ち上がった。
涙は止まっていた。とりあえず、今日のところは。それでよかった。目の前の一日一日をただ生きるだけで精一杯だった。その助けが欲しくてここへ来たのだと、そのとき気がついた。

33歳の初夏。本格的なシーズンインを控えたカフェは、はじめて訪れたときと変わらずきらきらして見えた。けれどはじめて、穏やかな気持ちでいられる気がした。あの曇りの日から8年が経っていた。数字は単なる記号だけれど、それでも今日まで積み重ねてきた時間を想った。

いつかまた泣きたくなるときがくるかもしれない。帰るべき家を失くして、途方に暮れる日がくるかもしれない。
それはそれとして、また大丈夫になれる場所がある。そのことが特別嬉しかった。

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