都電荒川線のにおい
高校3年生の2月、大学受験のため1週間ほど大塚のウィークリーマンションに住んでいた。
試験会場には都電荒川線で20分、一律160円。
11枚綴りの回数券を買う。
一両の古びた電車がゴトゴト揺れて、疲れと緊張でこわばった身体を運ぶ。
くたびれたサラリーマンも、カリカリした受験生もここにはいない。
小さな子供を抱えた母親や、腰の曲がったおばあさん、裾の余った真新しいセーラー服の少女。
なんとなく、世間のわずらわしさから離れていくようでホッとした。
ウィークリーマンションと試験会場を往復するだけの毎日。
生まれて初めての一人の生活。
しかしそれは私が所望する自由とは程遠かった。
未来を勝ち取るための戦いの日々。
試験帰りに、ホットモットで夕食を買い仮そめの住まいへ帰る。
都電に乗り込むと、乗客がいっせいに「あっ」という顔をした。そこで、私も「あっ」という顔をする。
車内中に、ハンバーグのにおい。
見知らぬ街で見知らぬ人たちに、今日の晩ご飯を知られる恥ずかしさと申し訳なさ。
赤面しビニール袋の端を握り締めた20分、少しだけ世間の優しさを知った。