自己紹介をかねての生い立ちからの遍歴(エニアグラムタイプ9)
ふと思い立ち、「自分はこういう人間です」というのを、過去メモを整理して載せてみることにしました。
こういうのがエニアグラムタイプ9らしいのか?の判断のお役に立てればと思います。
(ただし、タイプ9はあくまで自認なので、もし違っていたらごめんなさい。)
無茶苦茶長いです。
幼少期
・3人兄妹の末っ子で、父母兄姉の家族みんなに可愛がって育てられた。
・部屋の隅でおとなしく一人遊びをしているような子。一方で、オリジナルの歌や踊りもしていたそう。
・2歳頃までは、兄と姉が帰宅するまで、母と2人で平和に遊んでいた。外に出て活発に動くタイプではなく、家の中メイン。夜は家族と一緒に居間で過ごし、眠くなったら寝室へ、というスタイルで育てられたらしい。
・食卓は賑やかで、だいぶ大きくなるまで会話に口を挟む隙がなかった。その割に食べるのは遅く、1時間かけて完食。時間がないと少食になる。一口をしっかり噛まないと飲み込めなかった。
・外食の際も、何を食べたいか自分の意思で選ぶというよりも、これなら食べられそうというのが固定化されていて、毎回ほぼ同じもの食べていた。
・幼稚園では、見送りの母と離れることができずに最初の一年間は毎朝泣いていた。
・幼稚園で、同じクラスの子から、「八方美人」もしくは「偽善的」と言われた記憶がある。(後々考えるとどうしてそんな言葉を幼稚園児が使っていたのか謎。)
・お砂場で遊ぶのが好き。湿疹の原因になってしまったと思われる。
・乗り物酔いをしやすかった。
・母方の祖母のことが好きで、会うたびに「だいすきー!」と言って抱きついていた。
・母に甘える時、「私っておかあさんのたからもの?」とよく聞いていた。
小学校
・担任の先生からは、「周囲と和をもって接している」「何の不満もなく過ごしているようだ」とレアな存在に思われていたらしい。
・父の影響(?)でアリや植物の観察をしていたが、特にのめり込むことはなかった。
・ビデオカメラが回っているところでは可愛い作り声。「ふだんはもっと声が低いのに」と姉に暴露される。
・週に一回、学年を跨って構成された清掃班で行う活動が苦痛で仕方がなく、転校したいとさえ考えていた。
・困ったことを人に開示せず抱え込むタイプ。
・初めて付けたお小遣い帳で、後から見つけた数百円の処理に悩み、1ページ目からの全ての残額の下に「+○○円」と付け加えた。後日、母に気付かれ、「収入」の項目として「○月○日 発見」と記録することを教わった。
・読書感想文が書けず、夏休み最終日に苦労した。母や姉にアドバイスをもらって書き切ったが、「助言を受け入れることについて全く抵抗がないようだ」というようなことを言われた。
・体育と図工に苦手意識。クレヨンを使った課題を授業中に終えられず、家に持ち帰って棚に隠し、随分経ってから捨てた。
・ポケモンは面白すぎるからだめだ!と思って小5くらいで見るのをやめた。
・ゲームは兄の影響でやらず(させてもらえず、そのうち興味を失った)。
・誰も見ていない時に、窓の側やベランダで「風よ〜♪」と言いながら風に語りかけていた(風を操ろうとしていた。実際、うまく操れていると思っていた)。
・道徳の授業で、「相手によって態度を変えるという意識がないと思う」にクラスで唯一手を挙げた人だった。
・少人数の仲のいい友達と、雪の日でもトランプをやっているような学校生活。
・合唱では、周りに合わせるより、指揮者のテンポや音程を維持することにこだわった。
・ピアノを習っていたが特にうまいというわけでもなく、合唱部では、自分から伴奏をやりたいとは言わず、お願いされると喜んで引き受けた。ちなみに本番には強いタイプ。
・姉のCDプレーヤーのイヤホンを落として壊した(かもしれない)ことを、誰にも言えず黙っていて、長らく罪悪感を持ち続けた。
・小5で祖母と同居するようになり、溜め込んだストレスを、紙に書き殴ったあと粉々にちぎって捨てる、というストレス解消法を自ら編み出した。
・友達にもらったお菓子を、家族に言えずに隠し持って、随分経ってから捨てた。
・小5の時、清掃班の班長への寄せ書きを渡しそびれ、自宅の学習机の奥にしまい、随分経ってから捨てた。
・動物園の飼育員になるという夢があったが、「小柄で体力がないから無理だろう」と母に言われた。それでも、卒業式ではマイクに向かって宣言したが、結局実現させてやろうと奮起することはなかった。
・家族の前で怒りや悲しみを露わにしたことはほとんどない。唯一覚えているのが、父がクイズ番組の答えを先に言うのが嫌で「言わないで」と言ったのに、繰り返しわざとされて、怒り泣きをしたこと。
中学校
・入学したての頃は、学区が変わり、小学校の知り合いが少なかったため、休み時間に周囲の人を観察したり、人より早く校歌を覚えようとしたりしていた。
・友達と3人で廊下を歩く時、邪魔にならないよう後ろに回っていた。そんな自分を客観視し、「この行動は、この後の人生に何かしらの影響を与えそうだ」と思っていた。
・テレビドラマで、主人公が顔にコップの水をかけられるいじめのシーンが耐えられなくて初回で見るのをやめた。
・テスト前の休み時間に、友達に楽しく話しかけていて、「余裕があるね」と言われた(嫌味だとはその時は気づかなかった)。
・いつもテスト勉強がギリギリになり後悔していた。
・塾に通うことが嫌で仕方がなかった。宿題はいつもギリギリ。
・習字教室が毎週の癒しだった。
・祖母から「夢見る夢子さん」と言われていた。(理由にはピンと来なかった。)
・母から、私に似ている人の処世術として、「昔、同僚に、トラブルが起きた時は頭を低くして、頭の上をトラブルが通り過ぎるのを待つ、というタイプの人がいた」という話を聞かされた。また別の時には、母から、私には「何もしないことによって問題解決を図るところがあり、それは良くない」と言われた。
・私服がダサいことを姉にしばしば指摘された。
高校
・高校は、家から近く、合格が確実なところを目指した。
・入学した月に祖母が亡くなった。
・部活動には興味があったが、結局入ったのは月一で活動する文化部のみ。ほぼ帰宅部になってしまったことをずっと後悔していた。
・美術の授業では、小・中学校とは異なり、レタリングのような「型の決まったアート」がとても楽しかった。
・高校1年で文系を、高校3年で大学の専攻に歴史を選んだ。「それが自分にとって興味のあるものだ」と思っていたが、結果的に担任と同じ専攻。
・母や姉には資格のある職業を勧められ、薬剤師をしているご近所さんに話を聞きに行ったりもしたが、今ひとつ惹かれず。
・勉強では、辞書を引きながら単語や文法を調べ、翻訳することに熱中していた(英語、古文、漢文)。
・英語のシャドーウィングも好きで、毎晩繰り返しCDを聴いて例文を暗誦するほどだったが、父に、「英語は道具であり、それ自体を仕事にすることはできない」と言われ、翻訳家や通訳、学者を目指すことはできないな、と勝手に悟った(その割に大学は歴史を選んだのだから矛盾している)。
・進路選択で悩みすぎて高3の冬に十二指腸潰瘍になった。当時も「勉強ではなく進路選択によるストレスだ」とはっきり感じていた。進路の最終的な決め手は、担任の鶴の一声。
・服を選ぶのが超絶苦手になってしまった。「自分には、他の人が当たり前にできる、自分の服を選ぶ、ということができない」という思いに囚われ、苦しむように。
・エクナット・イーシュワランの「スローライフでいこう」と、ドミニック・ローホーの「シンプルに生きる」が愛読書。
大学
・ポーランドの歴史に興味があったのに、大学の同じクラスにポーランド好きがいると知った瞬間、興味を失った。
・英語の授業のアンケートで「英語を使って何がしたいか」という問いには、考えた末「特になし」と記入した。
・TOEICでは良いスコアをとったが、勉強と試験自体を楽しんでいただけで、仕事にも趣味にも活かしていない。
・ゲームや賭け事は、自分の性格からして、はまるとやめられなさそうだから慎重になった。
・卒論は期限ギリギリに仕上げ、内容は散々なものだったし、就活の際のESの提出も期限ギリギリ…。
・就活では、非常に頭を悩ませたものの、結果的には志望通りに就職口が見つかったので、要領が良い方だと側から思われていたかもしれない。
仕事(就職〜産休前)
・1年目に、先輩から「何のためにこの業務があると思いますか」と問われ、咄嗟に出した答えが「規定で決まっているから」。すぐに失望されたとわかったが、何が答えだったのかいまだにわからない。
・自分の怠惰な性格に悩み、しばらくの間、ひどいメンタル状態だった。「結局、周りの人は仕事のできる人間だけを気にかける。メンタルヘルスケア体制とか言いつつ、自分のような怠惰な人間は距離を置かれ、煙たがられるのだ」という諦めを得た。
私生活(就職〜産休前)
・バレーボールにハマった。
・スポーツに秀でた人の悔し涙を見て、「努力した人だからこそ涙を流せる。自分は何かのために努力をしたことがあっただろうか」と感じた。
・周囲への結婚の報告を先延ばしにし、日々苦悩していた。
・結婚式の準備が苦痛だった。
・職場の人への結婚内祝いの品を後悔。
・同僚の出産祝いを選ぶのに苦労し、微妙なものになってしまったことを後悔。
・細い腕がコンプレックスで、腕を鍛えて人に見せられるようにしたいと思っていた。
・妊娠してから、通勤電車に乗り遅れないようになった。
・マタニティマークを付けるか否かで非常に頭を悩ませた。
産休・育休中
・出産のための入院中、いくらでも自由に家族と連絡を取ってよかったのに、なんとなく求められていない気がして最低限の連絡しかしなかった(ちなみにコロナ禍)。暇だな〜と思いつつのんびり過ごした。
・子どもに向き合うことは幸せ。
・寝不足が大して苦ではない。昼寝がいつでもできる環境なのに、よっぽど疲れていないと昼寝せず。時々、早起きして近所を散歩。
※「育休復帰後」以降については、とりあえず省略というか、気が向いたらまた書きます。