タイプ9として、子育てについて想うこと
子育てにおいて、「困った」はあっても、発狂しそうになる程どうしようもなくなることはない。
そのことについて、なんでだろう、なんでだろう、と事あるごとに考えている。
環境に恵まれている、周囲に助けられているというのは大いにある。
実家や夫や保育園が頼りになり、子どもたちは、生まれた時から欲求が素直に出てくるタイプ。
私自身の気質という面では、比較的物事を肯定するところがある(穏やかさをよしとするのが私らしさなのだと、エニアグラムが教えてくれた)のだが、それは生育環境とリンクしている気がする。
三人兄妹の末っ子という立場と、あまり自己主張するような機会がなかったという状況、加えて持って生まれた性質。
タイプ9の「自己軽視」の傾向は、親としてはこれで良かったな、やりやすいなと思う。「相手を受け入れられる」「ニーズを察知できる」という面もあるから。
子に依存してしまうのでは?という恐れは、実はあまり感じていない。「必要とされなくなればそれまで」という気持ちも持ち合わせているから。相手が誰であれ、一方的に付きまとうような接し方はしないんだろうな、と思う。
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唐突だが、親に「なんでうちの子はこんなにできないんだ?」と思われて育つ人は、気の毒だと思う。
「その子のできること、できないことを判断して、その子のわかる言葉で導くことのできる大人」が世の中に増えていけば、世界は上向きになるのにな、と思う。漠然と。
(私は、そういう大人を目指したいのかもしれない。)
でも今の世の中は、少なくとも私の知っている範囲では、真逆に見える。
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私は、まだ子を育てるようになって4年半の未熟者なわけだが、「この子には、いま何ができて、何ができないのか」をわかろうとしている。そして、難しさはあるけれども、やれている、と感じる。