日本麻雀百年史 その7

東西融合の対抗戦は続いた


  このルール問題で東西間のしこりはさらに深まったようであるが、それでもなお断絶状態にいたることはなかった。この時期の麻雀指導者には、大きな対立点があってもそれによる断絶状態、あるいは孤立主義を避ける良識が残されていたようだ。
 
  東西融合のための対抗戦は、まだ続いていた。その年の夏、第四回東西対抗競技会が東京で行われた。

  前年度負けた大阪側が、東京に出向くことになっていた。出場メンバーは、大阪側が全徳五段、熱海五段、楫西四段、羽太二段。

  東京側が川崎七段、武天祐五段、堀田四段、加藤四段であった。

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