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マージャンの文化史第2部 マージャンの伝道師 《第15話》 ロンドン・パリの流行は日本より早かった 《第16話》 日本への伝播ルート
※本記事は麻雀界47号に掲載されたものです。
〔第15話 ロンドン・パリの流行は日本より早かった〕
一八四六年に成立した近代のマージャンが中国全土に広まっていく時期の前後、取り立てて言えばイギリスの中国進出は欧米列強のなかでも他国を圧していた。
一八四〇年の阿片戦争、一八四三年の香港租借、イギリスが大きく関与した太平天国の乱(一八五〇~一八六四)などを挙げるまでもなく、イギリスのアジアへの植民地政策はその極に達していた。
その勢力圏は、中国大陸の南部。香港、上海、広東を拠点に西に向かって伸び、帯状に雲南にまで達していた。狙いは茶である。
好奇心旺盛でギャンブル好きのイギリス人がその頃中国全土で大流行のマージャンを見逃すはずはない。
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