【シコイチ】軽率にママチャリで四国一周した話3
雨の四日目
四日目、顔に降りかかる水滴で目覚めました。
昨日の警察官の言葉通り、雨が降ってきたようです。灰汁色の重たい雲から、細かい雨粒がぼくに向かって落ちてきました。滑り台から身を起こすと、遊具の中に潜り込んでいたシモカワくん以外は起きているようでした。
まだ小雨と形容できる小さな雨でしたが、この空の下でママチャリを何十キロもこぐかと思うと、寝起きから憂鬱でした。
シモカワくんを起こし、水飲み場で顔を洗って歯を磨くと、ぼくらはママチャリに跨がりました。
細かい雨が降る中を、無言でぼくらは進んで行きます。もちろん生徒たちは雨具なんて持っていません。先頭を走るキチガイ軍曹だけ、カッパを着込んでいました。その背中を追いながら、文句一つ口にせずチャリをこぐシモカワくん以外のクラスメイトに、ぼくは怒りを感じ始めていました。
なぜ彼らは愚直に教師の言うことに従うのか、理解できなかったのです。常識的に考えておかしい言動に、何かしら文句を言うのはシモカワくんとぼくだけでした。軍曹は中学生のぼくから見ても、想像以上に常識を欠いた奴だというのは、この数日で痛感していました。
今朝も自分だけカッパを着始めた軍曹に、ぼくらの分はないのか?と訊いたのはシモカワくんでした。当然のように「ない」と応える軍曹に、どうして準備してないのかとぼくが尋ねると、雨が降るとは思ってなかったと、お前ホンマに大学出たんか?と突っ込みたくなるような返事をされて呆れたものです。
このママチャリ四国一周に出る前なら、ぼくも他の三人同様に口答えや詰問はできなかった筈ですし、シモカワくんもそんなタイプではありませんでした。しかし、たとえ軍曹相手でも、これ以上我慢ならないことを言われたら、ぼくはキレてしまうんだろうなと漠然と感じていました。それはたぶんシモカワくんも同じなんだろうとも思いました。
無言のまま一時間ほど走ったあと、次の町に到着したぼくらは、コンビニで朝ご飯を食べました。朝食と言っても、軍曹が買ってきた菓子パン、それに今日一日飲むための、ペットボトルのお茶です。
雨は次第に強さを増していくようで、軒下にしゃがんでぼくらは菓子パンを食べました。軍曹はどこかでカッパを買ってやると言いますが、まだ朝の7時で、そんなものを売っている店が開いているとは思えませんでした。
逃げ出すことを決意
昨日は出発してから少し会話があったぼくたちですが、この日は朝から誰も喋ろうとしません。皆黙々とパンを口に運んでいました。コンビニからJRの列車が走っていくのが見えました。
30分ほどの小休止のあと、雨の中を再び出発します。ぼくはシモカワくんと最後尾を並んで走りながら、逃げようと彼に提案しました。
どうやって?と訝るシモカワくんに、自転車を乗り捨てて、列車で帰ろうとぼくは言いました。チャリなんか親が新しいのを買ってくれるでしょうし、それよりもこんな雨の中でまた野宿でもさせられて体調を崩す方が心配でした。
電車賃なんか持ってないと言うシモカワくんに、ぼくが出すと応えました。現金はさほど持ってはいませんが、銀行のキャッシュカードがあります。二人分の電車賃は余裕でありました。
特急が停まるような大きな駅がある町に着いたら、バレないように離れて逃げてしまおう。軍曹は滅多に振り返りもしないから、こうして最後尾を走っていれば、余裕で撒ける筈だと伝えると、シモカワくんは「分かった、そうしよう」と、にやりと笑いました。あー「にやり」って修飾語はこういう顔なんだと思いました。
しかし軍曹が選んだルートは峠に入り、線路から離れていきました。駅のあるような町もありません。雨はどんどん酷くなり、ぼくらはパンツまでびしょ濡れになりながら峠を越えて、海沿いの平坦な道に辿り着きました。道は平坦ですが向かい風が強く、今までで一番苦しい道のりでした。
海沿いを走り続けると、再びJRの線路が右手に現れました。しかし今度は駅がありません。よしんば駅があったとしても、田舎の一本道で、軍曹にバレずに列車に乗ることは不可能っぽいです。何よりATMなどどこにもなく、現金がありませんでした。
ATMどころかコンビニもない状況で、ぼくらは朝食後、4時間以上休憩もなしで走り続けていました。雨は土砂降りと形容できるほど強く、穏やかだと聞いた瀬戸内海も、結構な強風を浴びせてきます。目を細めないと雨が目に入って、まともに先を見ることもできません。
結局ぼくらは朝食以降、小休止を何度かしただけで、伊予市内に入りました。段々と田舎道から街になるに連れて、ずぶ濡れでママチャリをこぐ自分が惨めに思えて仕方ありませんでした。
やっとコンビニで休憩させてもらったぼくらは、駐車場に座り込んで軍曹の買ってきたおにぎりを食べました。全身濡れているので、今さら軒下に移動するのも馬鹿らしく思えたからです。そんなぼくらを買い物客たちが、奇異の目で見て通り過ぎました。軍曹はぼくらを無視して、どこかに電話を掛けています。ぼくらも軍曹を無視して、おにぎりを食べ続けました。
この旅初の布団
休憩後、30分ほど移動したぼくらは、小さな旅館の前にいました。今日はここに泊まると軍曹が言いました。家族旅行なんかでは絶対に利用しないような寂れた宿で、屋号は「駅前旅館」でした。しかし四日目にして、初めてまともな場所で眠れるんだと思うと、安堵で全身の力が抜けていくような感じでした。宿の前に自転車を止め中に入ると、ぼくらの姿に驚いたおばさん従業員が、慌ててタオルを持ってきてくれました。
すぐに風呂に入った方がいいと言われ、カッパのおかげでろくに濡れていない軍曹を放置して、ぼくらは大浴場に向かいました。大浴場と書いてありましたが、五人も入ればギリギリのサイズです。雨の中を一日走って、真夏なのに冷えた身体に、四日ぶりの風呂は全身に染みました。ここまでの汚れを全部落とす勢いで全身を洗いました。
着替えはパンツしかありません。その上に浴衣を着たぼくらは、傘と下駄を借りて宿の前にあるコインランドリーに向かいました。五人分の衣類を洗濯するのですが、全員Tシャツ2枚、パンツ一つ、あと夏物のズボンだけなので洗濯機は一台で大丈夫でした。靴用の乾燥機もあったので、洗って乾燥させました。
衣類が乾くまで、ぼくとシモカワくんが残っていると告げると、他の三人は宿に戻りました。もちろん善意から残った訳ではありません。少し先に銀行があったので、ATMでお金を下ろすつもりでした。逃げるのはぼくとシモカワくんだけだと決めていたので、他の三人に見られたくはなかったのです。
コインランドリーにシモカワくんを残して、ぼくは4万円を引き出しました。ここから運賃がいくらかかるのか分かりませんが、これくらいあれば足りる筈でした。
乾いた洗濯物をレジ袋に詰めて宿に戻ると18時前でした。先に戻った三人はテレビを見ながら横になっています。軍曹の姿はありません。宿で一番大きな部屋ですよと言われたのは、10畳の和室でした。
間もなく軍曹が戻ってきました。夕食も宿で食べるらしく、部屋まで料理が運ばれてきました。トンカツ定食と呼ぶような内容で、ごはんはおかわり自由とのことでした。軍曹は手酌でビールを飲んでいました。
明日は道後温泉に入って、さらに海沿いに東を目指すと軍曹は言います。ぼくは軍曹から地図を借りて、松山市街の地理を確認しました。ここからは90分ほどの距離です。道後温泉から松山駅までは、30分もあれば到着しそうでした。逃げるなら温泉に行くタイミングだと思いました。
温泉に入る前に逃げるか、温泉に入った後で逃げるか考えます。住み慣れた大阪とは違って、四国は列車本数が恐ろしく少ないことがネックでした。そういえば宿の入り口に、時刻表が貼られていた気がして食後確認してみました。伊予市駅と松山駅の時刻表と路線図が貼られていたのですが、ここから高知に戻るのは元来た宇和島経由ではなく、香川県に向かって多度津で乗り換えるのが早く確実のようでした。
降りてきたシモカワくんに、計画を話しました。ちょっとワクワクするなと彼は呟きました。
部屋に戻ると食器が片付けられ、布団が敷かれていました。この旅初めての布団です。
明日の夜は自宅のベッドで眠れるんだ。そう思うと明日が待ちきれません。同時に明日、シモカワくんと二人でこの訳の分からないサイクリングから逃げ出す様子を頭の中に浮かべると、妙に興奮してきました。興奮してきましたが、疲労にはあらがえず、横になったぼくらは21時を待たずして、全員眠りに落ちていきました。