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【シコイチ】軽率にママチャリで四国一周した話8

最大の敵は身内だった

子どものいない伯父夫婦は、昔からぼくのことを息子のように可愛がってくれていたので、突然訪問したにもかかわらず、快く泊めてくれました。

伯父たちに軍曹に無理矢理四国一周のサイクリングに連れて行かれたこと、野宿を強いられたこと、我慢の限界が来て逃げたら殴られたこと、全員の食事代を支払わされたことなどを、誇張を含まず淡々と説明しました。

法曹界に勤める伯父は腕組みをして、ちょっとやりすぎかもなと呟きました。伯父が味方になってくれれば、百人力です。だからこそ話を盛らずに、淡々と説明したのですが、今になって思えば我ながら計算高い中学二年生だったと思います。

もう一度ゆっくりと風呂に入らせてもらって、早々に布団に入りました。軍曹から逃げたことで気持ちは高揚していますが、この日も数十キロママチャリをこいでいたのです。横になった瞬間、ぼくは眠りに落ちていきました。

翌朝、早い時間に伯母に起こされました。伯母は電話の子機を持っています。寝ぼけ眼のぼくに、伯母は父から電話だと告げました。

もしもし?とまだ半分寝ている頭で受話器を耳に当てると「何をやっとんのや!」といきなり大阪弁で怒鳴られました。「男が一旦やると決めたなら、最後までやり通せ!」電話の向こうでオヤジは激高しています。ああ、脳筋の体育会系バカはここにもいたわと思い出しました。

昨夜、ぼくが泊まりに来たことを伯母は自宅に連絡してくれたそうです。その直後、軍曹からぼくがいなくなったと連絡があったようで、母は親戚の家にいるから問題ないと応えたとのこと。たまたま夜勤だった父は、ぼくが逃走したのを知ったのが帰宅した今で、話を聞いた瞬間怒り狂って電話をしてきたようでした。

「今すぐ皆のところに戻って、自転車で戻って来い!それ以外の方法で帰ってきても、家には入れんからな!」とオヤジはブチ切れていました。こうなってはもう何を言っても無駄でした。理路整然と説明しても、言い訳するな!と受け身も知らない息子を柔道の技で投げ飛ばすような男なのです。

まだ何か怒鳴り散らしているオヤジを無視して通話を切りました。電話を切られたことなど半日もすれば忘れるのもオヤジの特徴でした。

最大の敵は身内だったかと舌打ちをして、仕方なく身支度を始めました。旅館までは伯父が車で送ってくれるとのことでした。

八日目、再出発

朝食を食べさせてもらい、何かの時にと伯母から二万円を手渡され、伯父の家を出ました。伯父の運転するいかつい系のベンツは、10分ほどで旅館に到着しました。

旅館の前では軍曹を始めとした全員が待っていました。戦隊ヒーローみたいな並び具合で、真ん中の軍曹にいたっては腕を組んでいました。これ絶対に威嚇のつもりだと悟った瞬間、思わず吹き出しました。

伯父はご迷惑をお掛けしましたと頭を下げていますが、軍曹はニヤニヤと笑っているだけでした。伯父は名刺を渡して何事か話していましたが、ぼくは自分のママチャリを持ってくるため、その場を離れました。

チャリを押して皆のところに戻った時、伯父が「何かあったら必ず問題にしますから」と慇懃に軍曹に告げているところでした。「くれぐれも気を付けて。何かあったらすぐに連絡しなさい。みんなも気をつけてね」と、伯父はぼくらに声をかけ去って行きました。

「それじゃ出発!」

軍曹はぼくを一瞥するとそう告げました。結局四国を一周するしかないのかと溜め息をついてから、ぼくはペダルをこぎ始めました。

平坦な市街地を一列で走り続け、緩い峠の頂上でようやく最初の休憩になりました。空は快晴で全身から汗が噴き出してきます。峠からは海が見えました。

ここまで誰もぼくに話し掛けてはきません。ぼくも何となく声を掛ける機会を逸していました。軍曹がぼくを無視しろとでも指示しているのかと疑いましたが、それ以上に気になったのは、前輪の不具合でした。元の形状を覚えていないので確信はないのですが、スポークというかホイールそのものが曲がっているような気がするのです。

ハンドルを地味に取られる感じで、真っ直ぐ走っていても振動が多くなった印象でした。今日はここまでパンクした自転車はありません。何か不具合がないか誰かに訊こうかと思いましたが、すぐに休憩時間は終わりました。

出発初日に比べれば、体力的に少し余裕は出ていて、最大の悩みだった尻の痛みも薄らいだので、運転じたいは楽になっている筈なのに、腕や肩など上半身への負担が明らかに増えていました。

上り坂同様に緩い下り坂が終わると、またしばらく平坦な道が続きます。やがて左側に海が見えてきました。途中、何度かコンビニで休憩し、水分を補給しました。昼食もコンビニ弁当で児童公園の木陰で食べました。

太陽が西に傾き始めた頃、徳島県に入りました。夕陽を照り返す海沿いの道をひたすら走り続けます。鳴門まで何キロという青い標識が見え始めた頃、先頭を走る軍曹が、漁港というのか堤防というのか、小さな港に向かって降りて行きました。途中のコンビニでカップ麺とおにぎりを買い込んだ時点で予想はしていたのですが、軍曹は今日はここで寝ると宣言しました。

自転車を降りて夕陽の陰になる堤防にもたれようとした時、おびただしい数のフナムシが一気に走り出して、思わず声を上げてしまいました。もうすぐ陽も落ちるし、平坦な場所の方が安全だと、堤防の真ん中に大の字で寝転びました。軍曹以外は皆同じように横になって空を仰いでいます。

オレンジ色というよりも赤に近い色に染まった空が、遠くの方で夜色になっていました。グラデーションの暗い色は、徐々に広がっていました。こんな風に空を見上げたのは初めてかもしれない。そう思いながら徐々に夜になっていく空を、いつまでも眺めていました。

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