見出し画像

【シコイチ】軽率にママチャリで四国一周した話12


近づく台風

宿に着いてまず風呂に入りました。真夏だというのに、ずっと雨に濡れていたので、身体は相当冷え切っていました。カッパを着ていたとは思えないほど何もかも濡れていたので、入浴しながら全員の衣類を洗濯しました。洗濯機も乾燥機も家庭用のものなので、乾くのに相当時間がかかるようでしたが、今朝は着替えていないので、レジ袋に入れた高松で洗濯したパンツとTシャツが、濡れずに残っていたのが幸いでした。

お揃いのパンツとTシャツだけのぼくらを見て、宿主の夫婦は笑っていました。お、部活のユニフォームか?と主人が言いましたが、疲弊したぼくらには、言い返す元気もありませんでした。

雨も風も強くなりますが、テレビの情報では、まだ台風は遠くにありました。非常に大きな台風らしいのですが、あの距離でこの風雨なら、この先接近したらどうなるんだろうと、少し恐ろしくなりました。あまりにも海が近いのです。元々高知で生まれ育った他のクラスメイトは、窓の外の海を見てスゲェなぁと笑っていましたが、ぼくはこんな海を見るのは初めてでした。

停電になるかもしれないからと、まだ明るいうちから夕食となりました。刺身と唐揚げとカレーという、どういうチョイスなんだという夕食でしたが、中学生のぼくらには地元自慢の海鮮よりは、カレーと唐揚げの方が有り難かった記憶があります。嵐が来るというのに、脳筋軍曹は刺身を肴にビールを飲んでいました。

食事を終えたぼくらは、時折突風で軋む部屋で、宿で借りたトランプで遊んで時間を潰しました。付けっぱなしのテレビはずっと台風情報を流しています。嵐が来るわくわく感というか高揚感は確かにありましたが、疲労の方が勝っていたぼくらは、割とすぐに眠ってしまいました。

嵐が来る

翌朝目覚めると、雨は上がっていました。台風は去ったのかと窓の外を眺めますが、相変わらず低く重そうな雲が垂れ込めていて、道路を隔てた先の海は大荒れでした。テレビを見ると台風はようやく四国に接近しているようでした。乾燥が終わった服を着て、宿の外に出てみました。玄関で会った主人に挨拶をすると、出ても良いけど絶対に浜に降りるなと言われました。

靴を履いているとムカイくんが降りてきました。濡れた靴は女将さんが新聞紙を詰めてくれたおかげで、少し湿っている程度までは復活していました。宿の前に出て、ムカイくんと並んで荒れた海と鉛色の雲を眺めました。

「結構大きい台風だから、たぶん満潮になったら波は道路を越える」とムカイくんは言いました。自分の家は海沿いなので分かると教えてくれました。波が超えても宿まで届くことはない、波が届くようならこんな場所に家は建ってないと、心配するぼくを彼は笑いました。

見える範囲に民家はありません。眼前には海、宿の後ろはもう山でした。突然轟音がして振り返ると、一両だけの列車が徳島の方向に向かって走っていきました。驚いたことに、宿のすぐ裏にJRの線路がありました。宿に着いたのが最終列車が出た後だったのか、風雨で列車の通過に気づかなかったのか分かりませんが、宿の敷地すぐの場所を列車は通って行きました。

また小雨が降ってきたので、宿に戻って朝食を食べました。焼き魚に海苔に卵焼きといった感じの、いかにも宿の朝食というメニューでしたが、女将さんが昨日のカレーあるけど食べる?と訊いてくれたので、全員カレーもいただくことにしました。

台風情報を見ると、四国内の列車は午前中の早い時間から運休することを伝えていました。さっきの列車が今日の最終便だったんだろうと思いながら、カレーを口に運びました。

目覚めた時は大人しかった風雨は、時間とともまた酷くなって来ました。台風情報は午後には四国に上陸すると伝えています。予定通りならここから西に数十キロ離れた場所を通るので、宿は最も風雨の強いエリアに入りそうでした。テレビはずっと台風情報なので、ぼくらはまたトランプに興じました。

退屈しのぎというか、惰性で遊ぶ感じです。気を遣ったのか、ムカイくんは時々話し掛けてくれますが、マツダくんとドイくんは相変わらず余所余所しく、シモカワくんとは松山での逃避失敗以来、一言も口をきいてません。ぼくとしても、根性ナシのシモカワくんと話すつもりはありませんでした。軍曹に殴られながら「ごめんなさい」と泣いた彼は、これまでの言動とまったく正反対で、思い出しても失笑ものでした。そもそもぼくらは単に軍曹に集められただけで、ほんの数日前まで会話したことない間柄でした。

十時過ぎに宿の夫婦が部屋に来て、雨戸を閉めました。主人は久々に大きな台風だと笑っていました。雨戸を閉めた部屋は夜のように暗くなり、ぼくらは電灯の下でトランプを続けました。時間はゆっくりと進んで、ようやく早めの昼食になりました。まったく動いていないのでさほど空腹ではないのですが、それでも全員ご飯をおかわりました。

脳筋馬鹿とぼく

食後はぼくだけ部屋に戻らず、食堂横のロビーで、本棚に置いてある西村京太郎の小説を読みました。やたら読点が多い文章だなというのが感想でした。二時間ほどで一冊を読み終えました。続いて別の作品を手に取ると、主人公は同じ警察官でした。ああ、これシリーズものなんだと気づきました。

本を読むぼくの向こうの食堂では、昼食からずっと軍曹がビールを飲んでいました。しばらくは主人や女将さんと話していましたが、今は一人でテレビを眺めていました。台風が直撃するというのに、引率教師としての自覚はないのかと、一瞥をくれると壁の時計を見ました。13時を過ぎたところでした。

「この台風じゃ、逃げるに逃げられんな」

不意に軍曹がぼくを見ました。顔を向けると心底馬鹿にしたような笑みを浮かべていました。ぼくは無視して小説に視線を戻しました。

「お前みたいな何考えてるのか分からんガキが、一番気持ち悪い」

およそ教師が口にして良い言葉ではないセリフを、脳筋馬鹿は放ちました。

「グレて反抗するのはまだ分かる。何も言わず何を考えてるかも分からず、突然突飛な行動をする。そんなガキが一番気持ち悪い」

馬鹿は酔ったのか若干呂律が回らない調子で続けます。

「本当に気持ち悪い。お前の弁護士の伯父さんも何か脅して来たけど、一族揃って気持ち悪いな?」

現代だったら一発アウトな発言ですが、ぼくは相変わらず無視して小説を読み続けました。西村京太郎は初めて読むのですが、一冊目は意外に面白く一気に読めました。爆発したタンカーの生き残り乗員が、何者かに殺されていく話でした。二冊目は証人を警護する警察が、彼を消そうとするヤクザに終われる話です。追う者と終われる者が逆転していて、続きが気になりました。

「これだけ言われても無視を決め込むとか、やっぱり気持ち悪いな。教師を無視する度胸は褒めてやっても良いけど、お前が将来何かしでかしたら、心底気持ち悪い生徒やったとマスコミに証言してやるわ」

気持ち悪いのはお前の方だろうと思ったぼくは、そこで初めて軍曹の顔を見ました。ヘラヘラと笑っているのは、威圧的な教師などではなく、そこら辺で酔っ払っているオッサンのようでした。

「先生、田山花袋の田舎教師って読んだことあります?」

ぼくの問いに「何を言ってるんだ?」的な顔をした脳筋馬鹿は「知らん」と応えました。

「夢や希望を持った若者が、結局貧しさ故に挫折して、田舎の教師にしかなれなくて、風俗通いの結果死んでしまう、酔生夢死の物語です」

挑発的に言うぼくを、黙って脳筋馬鹿は見ています。

「先生が無様に死んだら、ぼくも証言してやりますよ。惨めに死そうな田舎教師だったって」

その言葉を聞いた軍曹は怒り出すかと思ったのですが、豪快に笑い始めました。ひとしきり笑った後「やっぱお前気持ち悪いな」と呟いて、また一人テレビを眺めながらビールを飲み始めました。

台風一過

小説を読み終えて伸びをすると、時刻は16時前でした。軍曹は部屋に戻ったようですが、テレビは付けっぱなしで、いよいよ台風が上陸したことを告げていました。速度が遅く、予定よりも遅れているようでした。

風雨は酷くなり、時々宿全体が軋むように揺れました。玄関を少し開けると、数メートル先の海が見えないくらいの豪雨でした。満潮時なのか、時折波飛沫が道路まで押し寄せていました。波ばかりに気を取られていましたが、すぐそばから切り立っている山が崩れたりしないのか不安になりました。

「日が暮れる前に、お風呂に入って?」

外を見る背中に、女将さんが声を掛けてきました。

引き戸の玄関から顔だけ出して外を見るぼくを「そんなに台風の海が珍しい?」と女将さんは笑いました。

「生まれて初めて見ます」と応えるぼくに、そういえば君だけ関西弁やね?と言いました。この辺りは四国でも特に台風が通過する場所だと女将さんは教えてくれました。裏山は大丈夫なのかと尋ねると、ここは土砂ではなく岩なので崩れることはないとのことでした。

言われた通り皆に声を掛け順番に風呂に入りました。酔いつぶれたのか軍曹は畳の上で大の字になって眠っていました。起きた軍曹が風呂から上がると、18時前の早い時間に夕食になりました。刺身と海老フライととんかつという、また訳の分からないメニューでした。女将さんは軍曹に台風の影響で魚が少ないことを詫びていました。かわりに脳筋馬鹿には子どもが好きそうではない、酒の肴になるような小鉢がいくつか並んでいました。

馬鹿はまたビールを飲んでいます。いったいどれだけ酒を飲むつもりなのかと思いましたが、気にせず食事をしました。まだカレーが少し残っているというので、何人かが貰っていました。

食後、部屋でトランプをするという皆を残して、ぼくはまた別の小説をロビーで読みました。軍曹は主人と差し向かいで酒を飲んでいました。今度は日本酒のようでした。

動いていないので眠くはないのですが、明日は早朝から出発するから早く寝ろと軍曹に言われ、9時頃に部屋に戻りました。台風は通過した筈ですが、相変わらず雨も風も相当なものでした。

明日は早めに出発することを皆に告げ、10時過ぎには布団に入りました。

早く眠ったせいなのか、翌朝は5時過ぎに目が覚めました。雨戸を閉めた部屋は暗いままだったので、外の様子は分かりませんが、風雨はもう感じません。トイレに立ったついでに玄関を開けると、波はまだ幾分高めでしたが、夜明けの青空が広がっていました。時折一瞬だけ強い風が吹きました。薄い雲が早いスピードで流れていきます。嵐の名残はありましたが、今日が快晴になるのはぼくにも分かりました。ああ、台風一過ってこういうことなのかと思いました。


いいなと思ったら応援しよう!