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私、ヲタク先生。【4】
クラスがめちゃくちゃになって、それから教頭先生の指導が始まった。
不思議に思ったけれど、やっぱり、問題があったのだから、仕方ないよね。と思うことにした。でも、教頭先生と私の間にはよく分からないけれど『溝』があった。
まず言われたのが「ヲタクを止めること」だった、かな?
いやいや、ヲタクを止めたらどうするんだろう。私は生まれてこの方ずっと、ジャンルは違うけれどヲタクで生きてきた。ヲタクでいることが恥ずかしいと思ったことはなかった。だって、周りの人達は理解してくれたし、むしろ個性の一つだと思って大切にしてくれた。
たしか、私がはまっていたゲームのプレイや、スマホの操作時間を制限するように言ってきたかな。
課金してたからやめられない、ってわけじゃないけれど好きなキャラクターがいたし、シナリオだって面白かった。それに、いま話題のゲームだったから、乗り遅れるわけにはいかなかったんだ。
もしかしたら、「ヲタクは犯罪の温床となる、ネクラな集団」という概念がまだあるんだろうか、と思った。それは時代錯誤も甚だしい。
たしかにメディアでは、「○○事件の犯人の家からはこのような作品が出てきました。犯罪心理学の××教授が言うには……」って報道されているのを何度も見た。私も、もしかしたら……と思うけれど、私のジャンルはそんな事件のもとになるような要素はない? と思う。
むしろ、最近の子ども達の話題に乗るために必死になっておぼえたものだってある。たしかに、先生の形は違うけれど、「トモダチ先生」になってしまうかもしれないけれど、私はこんな形で子どもたちと接していきたかったんだ。
好きな漫画やゲームの話をしながら、時には大人の見方を話し、子ども達に想像の翼を広げてもらいたい、紙の本だけでは得られない感動だってあるだろう。
よく、「漫画やゲームは想像の翼を折ってしまうものだ」というけれど、本当にそうなのかな?
私はゲームで泣いた事が何回もあるし、好きなゲームでオリジナルストーリーを考えたことだってある。紙の本であっても、読むのに一苦労するものだってある。何の感傷も生み出さないただの文字の羅列だってある。感じ方は人それぞれだと思うけれどね。
私は指導してくださった教頭先生には感謝しているけれど、この考え方だけはどうしても受け入れられなかった。
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