私の身体を私の物にするために私はタトゥーを入れることにした
私の身体はずっと誰かのものだった。
気が付けば、もうずっと私の物ではなかった。
小さい頃、腰まで伸びた髪を短く切るためには父に相談しなきゃいけなかった。
大学生になってピアスを開けることすら父の許可を仰いだ。
友達だと思っていた同級生と二人でご飯を食べに行ったら肩や太ももを触られた。
健康診断で放射線技師にべたべたと背や肩に手をのせられたこともあった。
私の身体はいつも誰かのものだった。
もう一度、私の身体を私の物として取り戻す必要があった。
私の意志で、これは私の身体なのだと刻み付ける必要があった。
タトゥーを入れよう。
そう思ったのはほぼ直観だった。
たとえ誰かに身包みをはぎ取られようとも、肌に刻み込んだそれがあればこれ以上ない効果があると思った。
施術に痛みが伴うことも歓迎条件だった。
痛いからこそ、そこに私の大きな覚悟が宿る気がした。
簡単に消せないことも上等だと思った。
これ以上誰かに呪いをかけられる前に、自分が自分に呪いをかけようと思った。おまじないだって、漢字で書けば「御呪い」である。
タトゥーは私のお守りになる。
社会が私を軽く見るのなら、私は私への寿ぎを刻む。
信念を刻みこんだ体になれば、もう少しこの世界で生きていけると思った。
私は私の身体に、私のものだと刻むのだ。