帽子が好きじゃない、じゃなくて嫌い
子どもの頃から、ずっと帽子は好きじゃなかった。
幼稚園に通っていた。
幼稚園には制服があり、制帽があった。
制帽は、ネイビーのベレー帽、夏はつば広の白の帽子だったと思う。
私はそのどちらも嫌いだった。
まずベレー帽。
ベレー帽の外側の真ん中に「ちょびっ」と出ているあの部分が嫌い。
「なぜあの部分があるんだろう?」とずっと思っていた。誰にも聞かなかったけれど。
つばがないのが嫌い。帽子のフチのすぐ下に自分のおでこが来るのがイヤだった。
夏用のつば広の帽子の方はそこまでイヤじゃなかった。
夏は帽子をかぶっていないと頭が熱くなるので、子ども心に「夏は帽子はかぶったほうが良いな」と思っていたからで。
でも、帽子をかぶると自分の前髪が帽子のフチに押されて、髪の毛が目に入ってくるのが本当にイヤだった。
髪の毛が目に入らないように、前髪を分けてかぶるのだけれど、ちょっと帽子がずれてかぶりなおすときに、毎回それをやり直さなければならない。
それが本当にイヤだった。
そして、子どもだった自分の帽子にはゴムの「あごひも」がついていて、その「あごひも」を耳の前にするのか後ろにするのか、何回もやり直すのだけれど結局どちらもしっくりこなくて、そのたびに前髪が目に入る。
やっとどうにかかぶれたと思うと帽子がずれたり、前髪が落ちてきてまた目に入ったり。そのうちに「あごひも」がこすれて痛くなってきたり。
そしてそれだけ苦労して帽子をかぶった自分を鏡に映しても、ちっとも良いと思えなかった。
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大人になって当時の写真を見ると、当時の私の可愛らしい姿が映っている。可愛らしい幼稚園児の少女の姿で。
当時、きっと周りの大人たちにも、私は可愛らしい幼稚園児の少女の姿に見えていたと思う。
当時、私は帽子がイヤでたまらないということは誰にも言わなかった。
言っても、どうにもならないと思っていたのだ。
帽子がイヤだと言ったからといって、幼稚園で帽子をかぶらなくても良くなるわけじゃない。
「幼稚園では、帽子をかぶらなくてはいけない。」
当時の私には、これは動かしがたい、絶対のルールだった。
むしろ帽子がイヤだと言って、でも、かぶらなくてはいけない、という状況になる方がもっとイヤ。
だから私は黙って毎日、ただただ帽子をかぶり続けていた。
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今も帽子はあまり好きではない。
どうして好きではないのかとルーツを探ってみると、幼稚園の帽子のことを思い出したので書いてみた。
当時、誰にも言わなかった「帽子がイヤ。」
それを今頃になって書いてみたくなったのだ。
大人になった今は「帽子がイヤ」と思ったら、かぶらなくてよい。
当時の私には、その自由がなかった。
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