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子供への暴力と罪悪感
当時はバブル期
上司に毎晩ご飯に連れて行ってもらい、
いつもご馳走してもらいました。
休日には山登り、スキー、テニス、バレーボール、
バドミントンなどスポーツを堪能したり、
それなりに社会人生活を満喫しました。
就職してから2年が経った頃、
周囲や家族の勧めで
社内にいた夫とお付き合いをスタート。
公務員として骨をうずめる覚悟だった夫は、
私の両親や祖父母からの圧力もあり、
外堀からガッチリ固められ、
婿養子となることが決まり、
3ヶ月ほどのお付き合いで、
瞬く間に結婚となりました。
本当にありがたい話だと家族みんなが言いました。
東京生まれ東京育ちの彼が、
ド田舎の小さな街にお婿さんにくるだなんて
そして、まさか、
トラクターや、コンバイン、田植機など
農機具まで扱うことになろうとは
本人が一番びっくりだったろうと思います。
そうして休日には帰省し
祖父母と両親が兼業していた農業も
一緒に手伝ってくれました。
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その頃私は、地域で初開設となる
デイサービスセンターのスタッフとして
正式に雇用されたばかりでした。
大学卒業したての若いスタッフが集まり、
やっと介護の仕事ができる!と
意気揚々と働き始めたところでしたが、
夫の異動が出てその年度末には引っ越し、
新しい土地で生活が始まり、
2人の子供にも恵まれました。
結婚後は働いて欲しくない”と
夫から言われていたので、
家事育児に専念しました。
新しい土地では
知り合いもなく
淡々と子供と向き合う日々。
夫は毎日パチンコ残業で、
23時以降にならないと帰って来ない状態。
近くに両親も兄弟もおらず、
誰かに頼ることもできません。
怒りを何処かにぶつけることも出来ず、
常に自分一人だけで育児するしかありませんでした。
孤軍奮闘、無我夢中で育児し、
ストレスが溜まって、
ふと気づくと、
血相を変えて子どもたちを叩いている自分がいました。
![](https://assets.st-note.com/img/1738136160-Dqz1VuYei4lRKaycvdMJQnAg.jpg?width=1200)
うわ、、、😭
わたしは、母親と同じことをしてしまっていた💦
自分が嫌だったこと、
理不尽だったこと、
悔しかったことを
子供達にも同じことをしてしまっていたのです。
血の気が引きました、、、
無価値で、
自分を責め、
罪悪感に苛まれ、
自己否定しかできない自分がいました。
つづく
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