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近代で関心あること

「近世で関心あること」の次は、「近代」ですよね。この内容は、私が学びを深める中で痛感した自分なりの考察意見が多く示されていることが特徴であり、講師からは根拠が求められると指摘するもの、大変深く勉強しており歴史的変遷を主体的に考えようとする姿勢が強調されている点から高評価を頂いたので、皆さんにも読んでもらいたい。

 読んでみて最終的に自分の考察意見に共感するのであれば嬉しいし、異なった意見などさまざまな賛否両論はあるだろう。だか、過去は過去で、戻れない。でも振り返ることで未来の日本を私たちがどのように教えていくだろうかという社会科教員としての大切なことを気付かされる機会であったと思ってほしい。

序論 近代「日本における戦争の在り方」について考察する
近代の大きな特徴として印象づけるのは「戦争」で日本がどのように変わっていったのか。ということだと私 はまず思い付いた。この「戦争」の中でも大きなのは、1941 年の太平洋戦争であろう。この 1941 年、日本は太 平洋戦争に突入し、4年後の 1945 年 8 月にポツダム宣言を受諾し、降伏と敗戦を迎えたあと米英両国をはじめ、 ほとんどの国々を相手にしていたために敗戦後は、力の差が歴然し原因は何だったろうかという疑問視が今の時 代でもなお、歴史研究を進めている著書が多く出ていることを目にしている。この視点において、私なりにテー マとして取り上げ、次の通りレポートをまとめていきたい。
 一言で言えば、日本の勝手なる自爆といった妄想で戦争を作ってきたのではないだろうか。と自分は考えた。 日露戦争に始まり、大勝すると中国への圧迫や侵略行為などを行なっていたのでアメリカから敵視されたり、同 盟国を結んでいたイギリスまで敵を回すようになったことは小学生の社会科の授業からよく聞く話である。この敵対視は止まることなく、1930 年代には完全に孤立の道へと足を踏み入れたのではないだろうか。と多くの歴史学者も記述されている。なぜ日本はこのような道を選び、最終的に敗戦を認めるポツダム宣言を受け入れたのか。本当に勝ち負けにこだわり続けてきたので、巻き込まれた結果なのか。もしくは負けを分かっていながらも プライドのあまり無視続けてきたことの限界が来ていただろうか。と様々な憶測がある。小風(2016)は、「1945 年の敗戦によって、それ以前の日本とそれ以後の日本は断絶していたのか、それとも連続していたのか。という 問題は戦後日本論における大きな論点となっている。(以下、省略)」と述べるように、戦争は経済との関係を結びつけていることの背景があったことが分かる。
「戦争」の歴史的背景からみる
 まず近因として考えるのが、明治維新後の日本は最初政治・経済・社会のあらゆる分野で鎖国下からの近代化 に取り組んでおり、大きな成果をもたらす影響はあっただろうとレポート(近世)で述べている。鎖国下では 本当に海外との外交を縁切ったのではない。海禁政策という表現を使っているように、少なからず海外の影響を 抑えようとしていた背景があって当時の日本人は、日本独自の考えを固定概念として近代化するには悩み突いていただろうと想像する。この悩みは、海外の影響を受ける強いものが軍事力だったのではないかと私は考察する。
 近代化成功による国の勢い、政府・国民の「戦争に勝つ」「勝つためだけに自分たちはいるのだ」という精神で ある【臥薪嘗胆】という合言葉が存在しており、軍部が国政にまで口出しすることなく、あくまで勝つためだけ に邁進していく考えだと述べている。(猪木、1995)日清・日露戦争から二・二六事件までの日本は法治国家と名ばかりのお粗末な狂気に満ちた国へ変貌し、法の下に争うことはなくて、力のある者が弱い者を暴力でいかにねじ伏せていくというようなことで「下克上」とい もいえる状況だったと多く唱えていることは、ドラマでもよく表現されていることを私たちでも分かりやすく解説されている一諸説である。だか、本当に原因として軍部の暴走を挙げる猪木(1995)によると、遠因とは間接の原因として考えていたことを引用する。

日本が本当に「戦争」を好んでいたのか。その影響と状況をみる。
アメリカでもイギリスでもソ連でもなく、なぜ日本だったのか。答えは、「ならなかった。」ということだという理由である。小さな島国であり、近代国家になる以前まではそれほど島国であると意識せず、苦労も感じたことはなかったかもしれない。周りを海で囲まれている分、侵略されにくくて都合が良かった風潮が明治時代まで はそう感じていたと思う。ところが近代国家として歩み出すうちに今までなかったものが生まれ便利になると 人々の暮らしは格段に住みやすくなっている。そこで今まで必要としなかったものが必要となるそのエネルギー が考え方を改めたのではないだろうか。そのエネルギーを使う機会、工業の発展が著しくなり、その資源を多く 産出する国ではないことに気付いた日本は求めるために他国に依存している海を越えた視点を向くようになっ たことが戦争の背景になるきっかけだと分析する。海で囲まれているために海上輸送によってエネルギーを輸入するには、時間がかかる。しかし、隣国が陸続きであれば陸上輸送によって容易に輸入することが出来るのではないかと戦略的に思い付くわけだからこそ、日本は島国である弱いところを変えたいと意識することが経済面で もリードしようと打ってきたかなと私はこう見解する。こうしてじっとして負けていくより、あえて戦って負けるという考えもこれを求めるゆえの自爆という当時の日本人における心理的状況だったかなと改めて学び気付いた。
 授業テキストで私たちが学ぶ時代背景では、1940 年代ナチス党のヒトラー率いるドイツ、ファシズムのイタ リアと日独伊三国同盟を結び、米英が中心となる民主主義国と対立することから始まっている。中国への侵略を 続けていた日本は圧倒的な力をもつアメリカに阻止されようとしていた。1929 年に発動した不戦条約にも関わらず、露骨な侵略を開始した流れでそのあと日本は国際社会において厳しい避難にさらされた実情がある。その間に第一次世界大戦が起こり、侵略が美徳ではなく悪徳とも考えられなかったことで、「侵略する方が悪い」と 強く非難されたものが、後に米英を中心とする民主主義国家と対立する第二次世界大戦と進み、日本はこの時に 軍人と政治家と互いに意見を争うこともできない状況から、止める者はいないままで戦争ばかりと進んでいた。 最初から「戦争」を好んでいたのではなく、このような遠因と近因から当時の日本は、然りとまとまらずに暴走 していたというような表現で自爆へ歩んできたのではないだろうか。(猪木、1995)の著書を読んでみたことから推測する。
敗戦の反省から歴史学者と同じく考える「時代」とは
 最初の問題提起に戻るが、近代のなかで最も印象強いのが「戦争」が多かった時代である。この「戦争」は今 考えると阻止出来たことは多かったかもしれない。でも当時、変えられるだけの力を持つ人はいなかった。間違 ったものであったとしても正すことなくして、失敗を一つの経験として学ぶということがこの「戦争」という敗戦を受け入れることで新しく生まれていた。このお陰で私たちがこの悲劇を教訓として、「戦争」をしてはいけ ないということを学び続けていることの大切さを改めて確認した。社会科の授業は、この原点を忘れないようにして欲しいし、二度と起こらないように近代は=「戦争」の歴史をしっかり悲惨な事実として受け止め、真剣に考えていくような組み立てを理解しなければならない。命を失い、または命は失わなくても一生苦しみを味わっ てきたという高齢者たちのことを考え、不自由なく暮らしている若い私たちが幸せに感じるのはどれほどだろうかということの大切さ、感謝の気持ちを育てていることに重要な意味が込められている教材の観点としてとても 大事な「時代」を見ることが今回のレポートのおけるまとめとしたい。

【引用文献】
猪木正道(1995)「軍国日本の興亡」、中公新書 
小風秀雄(2016)「大学の日本史〜教養から考える歴史へ〜4近代」、山川出版社 (※ここでは、授業テキストとして記述に用いられている。)

【参考文献】 
本村茂光・小山俊樹・戸部良一・深谷幸治編(2016)「大学で学ぶ日本の歴史」、吉川弘文館
山崎圭一(2019)「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書」、SB クリエイティブ株式会社 
山口二郎(1993)「鎖国と開国」、岩波書店 吉田光邦(1973)「世界史の中の明治維新」、同朋社